2013.07.01
有村悠さんは頭脳でリビドーを昇華するべきである
この世界は、快楽を簡単に満たせるほど安易には出来ていない。一部のたまたま宝くじに当たったような連中を除いては、欲求不満がデフォなのである。われらはこの地球に堕とされた囚人である。たまたま落下具合が奇跡的によかった囚人を羨んでも意味はない。性的抑圧が基本なのだから、それにいかに対処するかを考えなければならない。
われらが有村悠さんはまったく行動力が無く「やる気」が見られない。原因は色々あるのだろうが、リビドーが性器に固着しすぎだと思われる。リビドーを性器以外に割り当てるのは、誰でも自然にやっていることだ。そうしなければ生存できないからである。スポーツが得意ならスポーツで発散するとか、そういうやり方がある。有村さんは東大文学部中退なのだから、せめて文学あたりに興味を抱いていればマシだった。リビドーを頭脳に割り当てるのは、そんなに難しいことではない。それを教養主義という。有村さんは運が悪いことに岡田斗司夫というゴミの影響を受けてしまったので、オタク教養主義を目指してしまった。アニメや漫画が本当に死ぬほど好きなら、これを追求して教養の次元にまで高めることは不可能ではない。だが、有村さんには出来なかった。基本的に選択を誤っている。有村さんは、アニメが死ぬほど好きというわけではないので、そこにリビドーを割り当てることが出来ない。いつまでもリビドーが下半身に固着していて、女のことで頭が一杯であり、その抑圧の中、それにふさわしい毎日を送っているわけである。
ヨシナガのようなドンファンになれれば、下半身だけで生きて、一日中女のことばかり考えていてもいいのだが、われわれの人生はそのようにはいかないことが基本だ。女とは別のことを最高の目標として頂かなければ、女という抑圧に押し潰され、幼児的な退行現象が起こる。女より価値のあるものを見つけ出せないと、ヨシナガのようなドンファンになるか、有村悠さんのような退行現象を起こすか、どちらかしかないのである。普通、有村さんのように東大に入ったような人間なら、下半身から頭脳にリビドーを移すものなのに、なぜかそれが出来てないのである。新世紀エヴァンゲリオンの悪しき影響を受けているのも問題だ。あれは、アスカにフラれたら生きてる価値がないというイデオロギーである。エヴァンゲリオンが傑作なのは、そういうプリミティブな下半身の物語が人間の本質であるからなのだが、そこから抜け出さないと生存できない。リビドーを下半身から頭脳に移行させる方法はエヴァンゲリオンには書かれていない。有村さんが「オタク」になったのは、リビドーを下半身に退行させたままで許される文化圏として求めただけである。せっかく東大に合格したのに、リビドーを頭脳に移行させる方法は学ばなかったようである。東大の同期からことごとく縁を切られたのも納得がいく。有村さんは聖者の亡骸のように身じろぎせず鬱で横たわっているが、下半身だけはバベルの塔のように屹立している。決して天界へと辿り着けない塔をむなしく築き上げているのだ。本当の鬱病でないのは、性欲の減退がないことから明らかである。下半身にすべての血流が回っているから、頭にスイッチが入らないだけなのだ。頭脳にリビドーを移し、そこに価値を見いださない限り、いくら抗うつ剤を飲んでも治らない。
われらが有村悠さんはまったく行動力が無く「やる気」が見られない。原因は色々あるのだろうが、リビドーが性器に固着しすぎだと思われる。リビドーを性器以外に割り当てるのは、誰でも自然にやっていることだ。そうしなければ生存できないからである。スポーツが得意ならスポーツで発散するとか、そういうやり方がある。有村さんは東大文学部中退なのだから、せめて文学あたりに興味を抱いていればマシだった。リビドーを頭脳に割り当てるのは、そんなに難しいことではない。それを教養主義という。有村さんは運が悪いことに岡田斗司夫というゴミの影響を受けてしまったので、オタク教養主義を目指してしまった。アニメや漫画が本当に死ぬほど好きなら、これを追求して教養の次元にまで高めることは不可能ではない。だが、有村さんには出来なかった。基本的に選択を誤っている。有村さんは、アニメが死ぬほど好きというわけではないので、そこにリビドーを割り当てることが出来ない。いつまでもリビドーが下半身に固着していて、女のことで頭が一杯であり、その抑圧の中、それにふさわしい毎日を送っているわけである。
ヨシナガのようなドンファンになれれば、下半身だけで生きて、一日中女のことばかり考えていてもいいのだが、われわれの人生はそのようにはいかないことが基本だ。女とは別のことを最高の目標として頂かなければ、女という抑圧に押し潰され、幼児的な退行現象が起こる。女より価値のあるものを見つけ出せないと、ヨシナガのようなドンファンになるか、有村悠さんのような退行現象を起こすか、どちらかしかないのである。普通、有村さんのように東大に入ったような人間なら、下半身から頭脳にリビドーを移すものなのに、なぜかそれが出来てないのである。新世紀エヴァンゲリオンの悪しき影響を受けているのも問題だ。あれは、アスカにフラれたら生きてる価値がないというイデオロギーである。エヴァンゲリオンが傑作なのは、そういうプリミティブな下半身の物語が人間の本質であるからなのだが、そこから抜け出さないと生存できない。リビドーを下半身から頭脳に移行させる方法はエヴァンゲリオンには書かれていない。有村さんが「オタク」になったのは、リビドーを下半身に退行させたままで許される文化圏として求めただけである。せっかく東大に合格したのに、リビドーを頭脳に移行させる方法は学ばなかったようである。東大の同期からことごとく縁を切られたのも納得がいく。有村さんは聖者の亡骸のように身じろぎせず鬱で横たわっているが、下半身だけはバベルの塔のように屹立している。決して天界へと辿り着けない塔をむなしく築き上げているのだ。本当の鬱病でないのは、性欲の減退がないことから明らかである。下半身にすべての血流が回っているから、頭にスイッチが入らないだけなのだ。頭脳にリビドーを移し、そこに価値を見いださない限り、いくら抗うつ剤を飲んでも治らない。
スポンサードリンク