美人がブスに罪悪感を持つ
高身長が低身長に罪悪感を持つ
金持ちが貧乏に罪悪感を持つ

こういうのはないわけである。

しかし、高知能は低知能に罪悪感を持たなければならない。知能が低い人間というのは、人道的にデリケートな存在なので、われわれも最大限配慮しなければならないのだ。

わたしが有村悠さんを平気で批判していられるのは、有村さんが高知能・高偏差値だからである。こういう人間の発言を取り上げて馬鹿にするのはまったく良心が咎めない。逆に岩崎夏海のような低知能・低偏差値の発言を馬鹿にするとなると、とても人道に反しており恥ずかしい行為となる。岩崎夏海の発言を見て「こいつ偏差値低そうだな」と思ってしまうと、すごい罪悪感がある。こうやって記述していても、良心が痛むのである。

知能という文脈になると「人間は平等であるべきだ」というヒューマニズムが求められる。他の格差は全面的に肯定され、

不細工は子孫残すな
低身長は子孫残すな
貧乏人は子孫残すな

こういう論理で結婚しない人間も多いわけである。
優性思想が大手を振るっているわけだ。

しかしこれが知能となると話は違うのである。知性とは人間性に反するものらしい。知能が高いというだけで人類愛に参加する資格がないのである。高知能は低知能に最大限配慮し、ヒューマニズムを達成しなければならない。

これをお読みのひとがお子さんをお持ちだとして、子どもを偏差値の低い学校に入れたいという人はいないだろう。偏差値が低いほど猿に近く、人間性も低劣なのである。偏差値が低いと明らかにモラルが低い。そういう実情は誰でも知ってるから、公立中学を避けたりするのだ。

だが、いざとなってヒューマニズムについて語るとなると、低能な猿たちに罪悪感を持つのである。そして東大をバッシングするのである。すべては人類への愛のためである。高知能と低知能が「同じ人間」であるという幻想を守りたいのだ。

これが発達障害となると違うのである。アスペを全力で攻撃するのは許されている。われわれはアスペに対する良心の呵責はないのである。低知能は動物的であり、意外と視野が広いので、発達障害というのが高知能を攻撃する材料だと思われているのだろう。

アダムとイブが楽園を追放されたのは知恵の実を食べたからである。創世記からして、知性は恥の根源であり、原罪なのだ。







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