「動物化するポストモダン」を久々にぱらぱらとめくってみたのだが、内容のひどさに驚いた。特にエヴァンゲリオンが二次創作的という論旨には唖然とさせられる。エヴァくらいに物語を読み込める生々しいドラマはないのに、東浩紀は大きな物語の喪失を語り、二次創作的に愉しむことを称揚しているのだ。

データベース消費系の人間は消費するしかない。作品をオカズとして消費するだけだから、(消費者としての役割の大きさはともかく)消費以外では出番がないのだ。東浩紀はすっかりアニメから去った。われらが有村悠さんも東大のサークルで戯れながらアニメをオカズとして消費するだけだったから、庵野秀明の後継者はおろか、ブロマガでライターのポジションを与えられても記事が書けなかった。

海燕(kaien)というキモオタがいる。毎日毎日「こういう人間が好き・こういう人間が嫌い」というツイートばかりしている。人間的な好き嫌いを延々と語り続けているのだ。内向的で気持ち悪い人間の典型であり、本来なら今頃34歳ニートであった。しかし(有村さんと同じく)ブロマガのライターとしての地位を与えられ、こちらは成功を収めている。海燕は性的なツイートが極端に少なく、オカズになる箇所を切り抜きしてるだけの有村さんとは対照的である。物語に着目して読んでいる。海燕にとって大きな物語は失われていない。物語を読み込もうと思えばいくらでも読み込めるからだ。

東浩紀のデータベース消費論というのは単なる能力不足なのである。物語を読み込む能力がない低能であり、表面的な性的な記号だけ摂取し、それと戯れるだけなのだ。世界から大きな物語が喪失したのではなく、単に(東浩紀個人が)物語を読み解く能力がないのである。だからフラクタルのようなゴミシナリオを書いたのだ。物語に接しても、データベース(オカズ)しか見えないと、東浩紀のようになってしまうのである。物語が死んだとか歴史が終わったとか言う前に、自らの不明を恥じるべきだろう。東は年齢を言い訳にしているようだが、物語を読み解くのは何歳になっても出来る。テンプレ的なラノベ原作アニメはさすがに若くないと厳しいが、年を取ると物語が読み込めないなんてことはない。東は単に今までの人生、生まれてから現在に至るまで、ずっと物語を読み解く能力がなかったのだ。アニメを性的なデータベース(オカズ)として愉しむ若い時期を超えたら、視る楽しみを見いだせなくなっただけだ。







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