そろそろ池田小事件とかどうでもいいと言うべき時期に来ている。今日のような警察国家を招いたのは池田小事件である。あれで、犯罪者を事前に捕まえるというエスパーのような試みが始まった。池田小事件では、宅間を止められなかった社会の罪というのが問われた。新聞記事は警察の記者クラブ発表を元に書かれるので、たぶん警察のシナリオなのだろう。あやしい人間を事前に捕まえるという発想が警察国家に有利なので、そういう絵が描かれた。

池田小事件がミスリードされているのは、あたかも誰も罰せられていないという心象である。そういうイメージを持たされてるのだ。宅間は(確かに本人の発言通り)好んで死刑になったので、われわれが罰を与えたという感触はない。死刑を嫌がる人間を死刑にしないと刑罰のゲームにならないからだ。宅間は勝利宣言とともに立ち去っていった。だから誰も罪を背負ってないので、宅間の代わりに、社会が罪に問われたのである。われわれが宅間の肩代わりをすることになったのだ。

他人が死んだら、一応はメロドラマとして消費するわけだ。赤の他人が生きていても死んでいてもどうでもいいのだが、共感して泣いてみたりするわけである。それでカタルシスを感じるわけだ。そういう安易な感動に酔って池田小の遺族に共感しているうちに、警察国家が作られた。こどもを守るという名目でこいつらは何でもやったのだ。監視社会を主張しているわけだから、こいつらに共感してはならない。

本村洋なんか再婚してるのを隠し、唯一の妻を失ったというスタンスで少年事件から死刑を勝ち取ったわけである。普通なら死刑にならない事件が、世論誘導で死刑にされたのだ。本村は天国に行ったらどっちの妻を選ぶつもりなのだろう。再婚した妻は仮の存在か? この類の連中を信じてたら、命がいくらあっても足りない。







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