2013.07.16
有村悠さんにとっての女児と女性
有村さんのアフィを踏んでから以下の書籍を購入しました。
1 "Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)"
エラリー・クイーン; 文庫; ¥ 740
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
1 "ローマ帽子の秘密 (角川文庫)"
エラリー・クイーン; 文庫; ¥ 780
在庫あり
販売: Amazon.com Int'l Sales, Inc.
有村さんがまた女性の人権を高らかに称揚しておられる。女性が人権を侵害されることは許されず、セクハラなどもってのほかという、いつも通りの御意見である。
この有村さんという人物が女児に対しては猟奇的なサディズムを持つ御仁であることは周知の通りだ。有村さんは母子家庭という事情から東大一本に絞って受験していたが、もし落ちていたら、確実に性犯罪者になっていた。東大に合格しても加藤智大のような思考なのだから、仮に落ちていたら、反社会的な思想を募らせ実行に至っていたことは容易に想像が出来る。
有村さんの中では女性と女児が別カテゴリーになっているようだ。まったく別の生き物として登録されているのである。18歳以上の女性の人権は高らかに謳い上げるが、女児の人権に配慮する意志は毛の先ほども見られない。成人女性がセクハラに遭うとすごい怒るのに、女児が被害に遭うと加害者を英雄視するのである。
とはいえ、女児の人権に敏感な人間は、「自分に子どもがいるから」なのである。自分の子どもがこんな目にあったら……、という物語性で、女児の人権は理解されている。つまり、そのような「親の視点」を身につけていない人間にとって、子どもを守るという発想は生まれがたい。他人の子どもを自分の子どもと同一視するというのは、親の視点に限られる。独身の男が、他人の子どもを自分の子どもと同一視していたら、それはそれで変である。子どもを守るという発想は、子どもがいる親の間での連帯感なので、結婚できないのが確定している有村さんが、そういう物語に参加できるわけがないのだ。
独身の男にとって、女児とはどういう存在なのか、という問題に帰着する。ここに適切な物語は与えられていない。独身の男という段階で、犯罪者予備軍として仮想敵にされている。こう考えると、有村さんは異常ではなく、とても通俗的な役割に乗っかっていると言える。子どもを守る云々の発想は、要は近親相姦の禁止と同じ文脈性で与えられており、人の親でなければ、そういうインセストタブーの視点で(自分の肉親と見なして)女児を見ることは出来ないので、女児を異性として認識するのは自然なことでもある。
1 "Yの悲劇 (角川文庫 ク 19-2)"
エラリー・クイーン; 文庫; ¥ 740
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エラリー・クイーン; 文庫; ¥ 780
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有村さんがまた女性の人権を高らかに称揚しておられる。女性が人権を侵害されることは許されず、セクハラなどもってのほかという、いつも通りの御意見である。
この有村さんという人物が女児に対しては猟奇的なサディズムを持つ御仁であることは周知の通りだ。有村さんは母子家庭という事情から東大一本に絞って受験していたが、もし落ちていたら、確実に性犯罪者になっていた。東大に合格しても加藤智大のような思考なのだから、仮に落ちていたら、反社会的な思想を募らせ実行に至っていたことは容易に想像が出来る。
有村さんの中では女性と女児が別カテゴリーになっているようだ。まったく別の生き物として登録されているのである。18歳以上の女性の人権は高らかに謳い上げるが、女児の人権に配慮する意志は毛の先ほども見られない。成人女性がセクハラに遭うとすごい怒るのに、女児が被害に遭うと加害者を英雄視するのである。
とはいえ、女児の人権に敏感な人間は、「自分に子どもがいるから」なのである。自分の子どもがこんな目にあったら……、という物語性で、女児の人権は理解されている。つまり、そのような「親の視点」を身につけていない人間にとって、子どもを守るという発想は生まれがたい。他人の子どもを自分の子どもと同一視するというのは、親の視点に限られる。独身の男が、他人の子どもを自分の子どもと同一視していたら、それはそれで変である。子どもを守るという発想は、子どもがいる親の間での連帯感なので、結婚できないのが確定している有村さんが、そういう物語に参加できるわけがないのだ。
独身の男にとって、女児とはどういう存在なのか、という問題に帰着する。ここに適切な物語は与えられていない。独身の男という段階で、犯罪者予備軍として仮想敵にされている。こう考えると、有村さんは異常ではなく、とても通俗的な役割に乗っかっていると言える。子どもを守る云々の発想は、要は近親相姦の禁止と同じ文脈性で与えられており、人の親でなければ、そういうインセストタブーの視点で(自分の肉親と見なして)女児を見ることは出来ないので、女児を異性として認識するのは自然なことでもある。
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