カチェリーナが目を醒ますと、病院の一室だった。見知った顔の女医がいた。

「わたしはなぜここにいるのだ」

「大広間で気を失っておられたので、ここに運んだだけです」

「わたしの寿命はあと僅かだ。治療の必要など無い」

「カチェリーナ様はまだまだ生きられますよ」

「そんな馬鹿な。わたしの寿命は尽きる」

「あと5年は生きると思います。偏頭痛で人は死にません」

カチェリーナは目の前が真っ暗になった。夭折のお姫様を気取っていたのに、まだ生きてしまうという。暗澹たる絶望の中でグルーシェンカへの怒りが湧き上がってきた。あの無神論者だけは決して許してはならない。カチェリーナは点滴の針を引きはがし、女医の制止も聞かずに病室から飛び出した。
宮殿に戻り刃渡りの長い包丁を手にすると、グルーシェンカの住む修道院へと向かった。木立の向こうに白塗りの修道院を見つけると、カチェリーナは包丁を振り回して押し入った。そしてグルーシェンカを見つけた。修道女の格好をして敬虔そうな面をしているが、中身は悪魔的な無神論者だ。

「殺してやる」

カチェリーナはグルーシェンカに向けて包丁を振り上げ、思いっきり振り下ろした。グルーシェンカはいとも簡単にカチェリーナの手首をつかんで投げ飛ばした。カチェリーナは壁に叩き付けられ、無惨に崩れ落ちるしかなかった。グルーシェンカは革靴の底でカチェリーナの身体を何度も蹴り飛ばした。

「カチェリーナ様は寿命が延びたようですね。でもゴミはゴミです。ゴミとして過ごす時間が少し長くなっただけ」

「この無神論者が」

そう言ってみて、カチェリーナは自分の口の中がかなり切れていて、血が滴り落ちているのに気づいた。それから遠巻きに見ている他の修道女に向かって叫んだ。

「こいつは無神論者だ。魔女裁判を開け」

しかし修道女たちは、冷めた目線でカチェリーナを見るだけだった。

「ここにいる人間は誰も天国など信じていないのです。カチェリーナ様くらいですよ。天国でお姫様になれると思っていらっしゃるのは」

グルーシェンカはカチェリーナの身体を何度も踏みつけた。その痛みは、自らの甘えた考えへの罰のように思えた。グルーシェンカは正しく、カチェリーナは間違っていた。

「ではわたしはどうすればいいのか。これから五年間も偏頭痛に苦しめられ、そして何者にもなれないまま死んでいくのか」

「神は死んだのです。決断主義しか生き残る方法はないのです」

そう言い切るグルーシェンカの表情には一片の迷いも見られなかった。この無神論者は圧倒的なカリスマ性を持っていた。その背後の巨大な虚無は、同時に力でもあった。つまらない色褪せた世界の光景は打ち捨てられ、新しい眺望が開けるのだ。

「わたしは何を決断すればいいのだ」

カチェリーナは血を拭いながらグルーシェンカを見た。

「決断主義という世界史的な革命に参加することです。近いうちに地球上から宗教はなくなります。釈迦やキリストは完全に過去のものになるでしょう」

「おもしろい。その行く末を見てみたいものだ」

カチェリーナも神など信じてはいなかったが、一欠片の信仰が精神の奥底に根を張っていた。天国でお姫様になるという譫妄を振り払わなければ、生き延びることは出来ないのだ。







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