有村悠さんと言えば、真面目系クズの代表とされる。真面目ではあるがクズなのである。なぜこのような人間が昨今増えてきたのか? それは「真面目」がアイデンティティにはならなくなったからである。アイデンティティとは自己と他者との関係である。自分が何者であるかという自意識は他者という鏡の中で形成される。もはや今日の社会では、真面目であることなど評価されない。なんらアイデンティティの核にならないのだ。

真面目というのは、冴えない人間を守ってくれる武装であった。冴えなくても、道徳的に善であれば、真面目であるという高評価を受けることが可能だったのである。今日ではイケていることが重要である。冴えないからといって、真面目というアイデンティティに逃げるということは許されない。もはや真面目というキャラでは武装できないのだ。その典型が有村悠さんだ。本人が認めていないだけで、明らかな発達障害であり、非モテでもある。東大に入る学力があろうとも、受験勉強以外に取り柄がなかったので、有村さんはアイデンティティの喪失に陥った。

真面目系クズというのは、単なる冴えない人間なのである。こういう種類の人間は一昔前なら、道徳的に善人であることで自我を保っていられたが、今日ではそういう評価はしてもらえない。人間の評価基準において、善悪という軸が消えたから、真面目系クズが増えることになったのである。真面目系クズは真面目ではあるのだが、それにアイデンティティを見いだせないので統一性がない。有村さんが真面目ではあっても、不穏な言動が多いのは、真面目というキャラが許されない時代ゆえなのである。

真面目系クズの特徴として、真面目ではあるが怠惰という問題がある。こういうのはかつてはいなかった。もしくは注目されていなかった。真面目ならだいたい勤勉だったのである。真面目であれば、そういうアイデンティティを持ち、勤勉に導かれていた。だが、今日だと、真面目でも勤勉とは限らない。有村さんのように真面目でも怠惰なクズが存在しうる。

結論的には、真面目で冴えないタイプの人間への評価がすごい下がったので、そういう人間が迷走するわけである。家制度や地域共同体の崩壊、そして自由恋愛の礼賛により、真面目さが無効になったのだ。有村さんでも一昔前の世の中に生まれていれば、ガリ勉だけしてそれなりの人生になっていただろう。今の世の中だから、イケてないといけないし、ありもしないものを求めるから、ああいうクズが出来上がったのである。人間の存在はその時代のロールモデルに縛られるのだ。有村さんは少し生まれるのが遅かったので、(ガリ勉タイプには)オタクというロールモデルしかなく、そのオタクの中でイケてると思われた庵野秀明になろうと夢見た。もちろんそれは妄想に終わったのである。







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