法科大学院が完全に失敗に終わりそうである。2011年から、法科大学院に行かなくても、司法試験予備試験を受ければいいということになった。

ここ数十年のトレンドは低知能に門戸を開くことである。明らかに知能が低い人間を、知力が必要であるはずの領域に入れてしまう。これが大学のAO入試くらいだと、何食わぬ顔をして卒業してどうにかなるが、司法試験ではそうはいかない。低知能が法科大学院に入ったところで、司法試験に受からなければ意味がない。

知力の格差だけは頑として認めないというゴミが多いようである。容姿、身長、運動能力などは格差が如実だが、知力に関しては、そうでもない。いや、明らかではあるのだが、発達障害という問題がある。たとえば多動性が低いと(知能が低くても)何となく利口そうである。逆に多動性が強いと、知能が高くても馬鹿に見える。知的障害と発達障害を混同しているのだ。知的に障害のある人間が「僕は発達障害がないから利口なんだ」と頑張っているのである。そういう風潮がロンブーや津田大介を生んだのである。知力が低いにも関わらず、注意力が高かったり、視野が広かったり、落ち着きがあったり、そういう理由で知力が高いと錯誤しているのである。

周りが見えていて要領のいい人間はAO入試で入って一流大学を卒業するくらいのことは簡単に出来るが、法科大学院はやばかった。要領がよくても司法試験は受からない。だから法科大学院卒業で司法試験駄目だったという悲劇が生じている。偏差値が低くても一流大学に入れるという風潮がこのような結果を生んだのであり、メシウマと言えるだろう。

結局のところ、男女共同参画社会になってから、人間関係のウェイトが高くなっている。女の方がコミュニケーション能力が高いので、男がそれに合わせなくてはならない。だからソーシャルスキルが重視される。ソーシャルスキルの高い人間が低い人間をサポートするという構図はまったくないから新しいゼロサムゲームが生まれただけであり、新しいコストである。女はコミュニケーションが好きな割には、人間関係の調整が下手なのである。

知性とは男社会が築いていたものである。ソーシャルスキルでいちいち切り捨てていたら、過去の偉人でさえほとんど一掃されてしまう。女はワイワイ愉しむための道具であり、知性の領域に入れてはいけないのである。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング