カチェリーナは家族から疎まれ続けていたから、人間が人間に冷酷に振る舞う光景は日常茶飯事であり、数え切れないくらい体験したわけである。だが、グルーシェンカがさらりとナスターシャを切り捨てた出来事には背筋が震えた。ごく普通に、おまえは嫌いだと伝達する行為が、これほど残酷だとは思わなかった。
「ナスターシャを殴ったわたしが言うのもなんだが、おまえ性格最悪だな」
「カチェリーナ様は学校に行ったことがないから、ああいうご経験がないだけです。仲間をハブるなんてよくあることです。確かに気の毒ではあり、痛々しいのですが、こういうのは普通です」
いろいろ考えると、カチェリーナも漫画や小説でああいう場面は見たような気がした。ただいずれにせよ、このまま放置しておくのは耐えられなかった。
「親から虐待されてるのを見過ごすわけにはいかない。わたしの城で部屋を提供するのは構わないだろ」
「御自由にどうぞ。ただし、溺れてる人間にしがみつかれないようにご注意を」
それからナスターシャが部屋に呼ばれた。ナスターシャはグルーシェンカに恐れを抱いているようだった。依存していたたった一人の人間から切り捨てられたのだから当然だろう。
「おまえ住みたければ、わたしの城に住んでもいいぞ」
カチェリーナはナスターシャの目を覗き込んだ。ナスターシャは目を伏せているだけで、感情はよくわからなかった。
「ナスターシャは視力が2.0なんです。すごい目はいいんです。でも周りがまったく見えてないでしょう」
グルーシェンカはカチェリーナに確認を求めた。確かに、その点はカチェリーナも認めざるを得なかった。ナスターシャは明らかに宇宙人のようなオーラを発しており、別の世界の住人のようだった。
「ソーシャルスキルで大事なのは観察力なんです。観察力があると人気者になりやすい。観察して、いろんなことに気づいてそれを共有し、この共同世界を分かち合えるんです。ナスターシャは視力2.0だから目はいいのに、外界を観察してないのです。周辺世界から情報を汲み取る能力が低い。わたしからすれば、別の宇宙の人間です」
「そのご自慢のソーシャルスキルとやらで助けてやったらどうだ」
「これは力の差なので、人助けは出来ません」
「強い者が弱い者を助けるのは可能だろう」
カチェリーナは自分に似つかわしくないと思ったが、道徳的なことを述べた。さきほど気の毒な場面を目撃したばかりで、感情が高ぶっていた。
「ナスターシャの面倒見るなんて、ボケ老人の介護と同じです。博愛主義に基づいて、ボケ老人のオムツを取り替えてあげてもいいですが、それは決して対等な人間関係ではないのです」
グルーシェンカの説明は理に適っており、カチェリーナは反論の言葉が浮かばなかった。確かにナスターシャは周りを見てないし、あれだと普通の人間と視野を共有することができない。それは共感性の欠如に他ならなかった。
「そう言えば、寝たきり老人のような人もいましたね。わたしが大学で勉強している間、15年間ゴロゴロしていたゴミのようなお姫様」
今度はカチェリーナに矛先が向かってきたようだ。
「結局のところカチェリーナ様は意識が鮮明でないからゴロゴロするんです。モラルとかじゃなくて、頭がボケてるのです」
「ボケ老人とか寝たきり老人とかうるせーな。ブスのくせして」
カチェリーナとグルーシェンカは取っ組み合いの喧嘩になったが、こうなるとグルーシェンカの方が圧倒的だった。腺病質のカチェリーナは組み伏せられるだけだった。
「ソーシャルスキルの弱い人間を介護するべきという価値観もあり得るでしょう。でもわたしは介護はやらないので、他の人を見つけてください」
「そういや、ナスターシャはプログラムが得意だとか」
カチェリーナはなんとなく思い出したので尋ねた。
「ああ、かなり出来ると思います。わたしに匹敵するくらいに出来ます」
それからグルーシェンカはiPhoneを取りだした。
「たとえばこんなのがナスターシャの作品です」
「すごいじゃないか」
結構有名なアプリがゴロゴロ出てくる。カチェリーナは素直に感心した。
「おまえのご自慢のソーシャルスキルより、ナスターシャのスキルの方が凄いじゃないか。他人とワイワイやる能力より、こうやって内面世界を発達させている人間の方が偉大だと思う」
「社交性より重要なものはこの世にありません。人間精神は死んだのです。ヘーゲルやカントは焚書にしてください」
「わたしは人間精神の可能性を信じる。おまえはキョロキョロ周りを見回してFacebookでワイワイやってろ」
それからカチェリーナはナスターシャの手を取って語りかけた。
「おまえはわたしの城に来るべきだ。ワイワイやることしか能がない大衆に迎合することはない」
ナスターシャはしばらく黙っていたが、「そこはパソコンある?」と口を開いた。
「ああ、いくらでも買ってやる。何なら巨大なデータセンターでも建設するか」
「ところでカチェリーナ様に伺いたいのですが」
後ろからグルーシェンカが問い掛けた。
「カチェリーナ様は当然内面世界を育んできたわけですよね。15年間友達がおらず、ずっとひとりでいるわけですから、それに応じた素晴らしい人間精神を築かれたのだろうと思います」
「もちろんだ。まだ発表してないだけで、21世紀最高の哲学になるだろう」
「ナスターシャに資金援助することで何かを成し遂げたつもりになるのかもしれませんが、それはカチェリーナ様の成し遂げたこととは言えないと思います」
そう言われると、カチェリーナは本心を見抜かれたような気がした。自分が金を出してナスターシャにソフトを作らせ、それがヒットすればグルーシェンカの鼻を明かせると考えていた。
「カチェリーナ様御自身の天才的な業績を見せて欲しいわけですよ」
グルーシェンカはカチェリーナの目を見て確認を求めた。
「わたしはアーティストだ」
カチェリーナがそう言うと、グルーシェンカは固まった。どうやら言わない方がいいことを言ってしまったらしいとカチェリーナは理解した。そしてしばらくして、静止した時間が動き出した。
「あはははは。15年間ゴロゴロして寝たきりになっていたかと思えば、今度はアーティスト宣言ですか。カチェリーナ様はどこまで笑わせてくれるのでしょう。何も出来ないゴミが陥る典型的なことばかりやってくれるので、面白すぎます」







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