カチェリーナは親から疎まれ友達も出来ず、学校にも通わず15年間ゴロゴロしながら生きてきた。しかしアーティストという目標を見つけたことで生まれ変わった。自らの中にある才能を磨き上げるという最高の悦楽に出会ったのだ。無為な15年の間に積もった埃は掃き捨てられ、新世界への階段を登るのだ。カチェリーナ自身、漫画を描いていて、これは下手だと思っていた。だが、努力すれば、いずれはプロになれるはずである。そう信じて、珍しく机に向かい、漫画を描き続けていた。
そんなところにグルーシェンカの訪問があった。
「カチェリーナ様にしてはずいぶん一生懸命やられているようで」
グルーシェンカは漫画を描いているカチェリーナの手元を覗き込んだ。カチェリーナは下手な絵を見せたくなかったが、隠すのもみっともないのでそのままにしておいた。
「おまえこの間、わたしの背中にバカという紙を貼らなかったか」
「わたしがそんなことをするはずがありません。カチェリーナ様のアーティストとしての新しい人生を応援するだけです。ただ心配しているのは、三年後です。三年後に漫画家になれなかったら、結局ゴロゴロする生活に戻るのですよ」
「三年で漫画家になれなかったら自殺する」
カチェリーナの中でその確信は揺るがなかった。この三年間にアーティスト人生のすべてを賭けているのだ。
「ご立派です。そこまで命を賭けておられるわけですね。ところでわたしにリザヴェータという姉がおりまして、美術系の大学に通っております。カチェリーナ様に会いたがっているのですが、どうでしょう」
「おまえの姉ということはもちろん貴族だよな」
「当たり前です。実姉です。美術の世界に踏み出そうとするカチェリーナ様にとって勉強になることもあるはず」
カチェリーナは貴族に強い憧れがあるので、会ってみたいという感情が膨れあがった。
「よし行こうか」
「ではご案内しましょう」
それから車が手配され、カチェリーナとグルーシェンカはリザヴェータのいる大学へと向かった。車から降りて、カチェリーナが外に出ると、そこには色鮮やかな敷地が広がっていた。奧の方には、白塗りの洒落た校舎が見える。ここで学びたいと言いかけたが、カチェリーナは無学歴である。大学など入れるはずがないので黙っていた。そしてリザヴェータが登場した。グルーシェンカよりやや背が高い美しい人だった。
「実物のカチェリーナ様にお会いできるなんて嬉しくてたまりませんわ。これだけ美しい生物を今まで見たことがありません」
リザヴェータはカチェリーナの美しさに心酔しているようだった。カチェリーナは容姿を褒められるのはあまり好きではないが、今回ばかりは嬉しくなった。
「わたしも芸術家を目指しているからな。アーティストとして仲間だ」
リザヴェータの案内に従って大学の中を歩いていると、まわりの注目が集まっているようだった。カチェリーナの美しさが人目を惹いているのだ。人前に出るとカチェリーナはこういう視線に出会う。近寄りがたい崇高な存在を遠巻きに見守るのである。それからカフェテリアに案内された。グルーシェンカが飲み物を買ってきて、三人で席に着いた。
「カチェリーナ様は漫画家を目指しているそうですね」
「ああ。三年掛けてなれなかったら死ぬけどな」
「ずいぶんな決意でいらっしゃいますのね」
「それくらいでなければアートなんぞ出来んよ」
そうやって話していると、グルーシェンカがふいに立ちあがった。
「みなさん。ここにいるウクライナ最高の美少女カチェリーナ様はアーティストを目指しておられます。三年後に漫画家になれなければ自害するという決意のもとにアートを追求されています」
グルーシェンカが大声で叫ぶと、遠巻きに見ていた連中が集まってきた。
「実はわたしはカチェリーナ様の漫画原稿を持ってきたのです」
グルーシェンカが手持ちのバックから取りだした。
「おい、やめろ」
カチェリーナは抵抗したが、グルーシェンカの腕力に敵うはずがなかった。テーブルの上にカチェリーナの原稿が晒された。すると、集まっていた連中の空気が固まった。美術系の大学に通う学生たちの前にカチェリーナの下手くそな絵が晒されたのだ。学生たちは笑っていいのか悲しんでいいのか、なんとも中途半端な表情をしていた。
「この下手くそな絵で三年以内に漫画家になるそうです。なれなければ命を絶つという無責任な計画で、毎日ゴミのような絵を描かれています」
「いや、練習すればわからないだろ。今は下手でも三年後は」
カチェリーナは必死で弁解した。せっかくアーティストとして新しい道を歩もうとしているのだ。15年間ゴロゴロしていた自分が生まれ変わろうとしているのに、それを妨害されるなんて理不尽だった。
「ちなみにリザヴェータ姉さんが描いた絵をお見せしましょう。紙にボールペンで描いただけの絵です」
グルーシェンカがそれをテーブルの上に出すと、固まっていた学生達から歓声とため息がもれた。
「嘘だろ、ボールペンでこんな絵が描けるわけがない」
「いえ、ボールペンだけで描いたのですわ。よく御覧になってください」
そのモノクロームの絵では、サロンのようなところで貴族達が楽しそうに語り合ったり、ダンスを踊ったりしている。ひとりだけ対照的に孤独な少女がおり、それはカチェリーナだった。遠近法にひとつの狂いもなく、楽しく踊る貴族と孤独なカチェリーナのコントラストが際立って描かれていた。カチェリーナは深い感動と絶望に震えるしかなかった。本当の芸術家と自分ではここまでの絶対的な格差があるのだ。この絵の中でひとりだけほっておかれてるカチェリーナのように、現実のカチェリーナも大きな疎外感を憶えた。
グルーシェンカがまた立ちあがって、周囲の学生に呼び掛けた。
「みなさんご協力ありがとうございました。カチェリーナ様も、才能の絶対的な格差を認識されたようです。これで見せ物は終わりですので、散会していただければさいわいです」
学生達はぱらぱらと散っていった。それから三人になり沈黙の時間が訪れた。カチェリーナは完全に心が折れた。グルーシェンカがカチェリーナの手を握った。
「本当は三年間放置しておく手もあったのです。カチェリーナ様はどうせ自害など出来ないでしょうから、またゴロゴロ生活です。そういう落ちぶれた姿を見て愉しむことも可能でした。でもわれわれはそれを事前に食い止める親切な行為をしたわけです」
「人には向き不向きがありますわ。カチェリーナ様は御自分の適性にあったことをやるべきです。カチェリーナ様が絵の練習をしても時間の無駄です」
リザヴェータが優しく語りかけたが、カチェリーナは放心状態だった。アーティストになることで新しい世界に転生するという夢は脆くも砕かれた。そして15年間ゴロゴロして何もしなかった現実の自分に向き合わされるのであった。







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