法律は集団安全保障である。自分が死ぬのは嫌だが、赤の他人が死ぬのは一向に構わないという発想ではいけない。赤の他人の死を悼む義務があるのである。

ビッチの女子高生が殺された件で、千葉ロッテマリーンズの神戸拓光が不謹慎な発言をして話題になっている。

【ギュ~ちゃんのお仕事前のタメになるひとりごとヽ(・∀・)ノ Vol. 12】 何の事件か伏せるにせよTVで報じられないあんな画像が流出してたら『可哀想』とは1ミリも思わん。『可愛いふりしてやる事やってんじゃん』て事。今回のそれは【なるべくしてなった】‥自業自得だヽ(・∀・)ノ

プロ野球選手であれば、模範的な言動を求められる。赤の他人の死が悲しくないという本音を言うのは許されない。

赤の他人の死を過剰に悼んでいるうちに、池田小事件のように変な展開になることもある。税金による多額の支出はもちろん、宅間一人では抱えきれない罪なので、なぜか「守れなかった社会が悪い」ということになり、われわれが妙な罪悪感を負わされ、不審者を通報するのもブームになった。というより不審者狩りは定着した。

赤の他人の死が悲しくないのは本当であり、われわれはその真実から目を背けるために同情して泣いているわけである。赤の他人が切り裂かれ血を流し、断末魔の叫びと共に絶命しても、その苦痛はわたしの痛みではないので、本心ではどうでもいいのだが、赤の他人は集団安全保障のパートナーである。死んだらお互いに悼むというパートナーシップに基づいて、社会は存在している。

そういう意味で言うと、千葉ロッテマリーンズの神戸拓光はそのような集団安全保障のルールを破ったのである。たとえば神戸拓光が生きても死んでもどうでもいいのだが、しかし、われわれは集団的安全保障の観点からして、こいつが死んだりしたら、悼んでみせる必要があり、泣き真似でも涙を絞り出すべきなのだ。プロ野球選手として模範的な言動が求められる立場でありながら、(本心ではどうでもいいとしても)赤の他人の死を悼むという社会的ルールを守らなかったのだから、彼が批判されるのは当然なのである。







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