昔はドストエフスキーのどこが面白いのかさっぱりわからなかった。カラマーゾフの兄弟とか罪と罰とか一通り読んだのだが、一欠片も興味を惹かれなかった。世界的な名作だとされているからやむを得ず文字の上に目を走らせて「完読」しただけである。何の共感も出来ないし、ストーリーもつまらないし、分厚いだけでクソな本を読まされたという作業感が昔の印象である。

ところが、最近ドストエフスキーの作品を買い直して再読してみると、やたらと面白いのである。これが世界的な名作とされるのも納得である。昔のわたしにはさっぱり理解できなかったことが、現在ではようやく理解できるようになった。ドストエフスキー作品には「きっと何者にもなれないおまえたち」がたくさん出てくるが、昔はそれがあまり理解できなかった。ヒーローやロックスターになれるのは極めて例外であり、「何者にもなれない」というのが人生の実情だと理解したことで、ドストエフスキー作品の登場人物たちが、活き活きと感じられるようになった。この人間世界は失敗作だらけなのである。漫画みたいに最後はヒーローになるのではなく、失敗作になった後に、不良品としてどう生き長らえるかというのがドストエフスキーの作品のテーマなのだ。

方向性として、ドストエフスキーは福本伸行に似ている。ダメな人間をたくさん登場させ、「見せ物小屋」にしてしまうのだ。だが、福本伸行作品のカイジや黒沢が「いい人」であるのに対して、ドストエフスキーの作品の登場人物は本物のクズである。失敗作のくせして、野心だけは人一倍ある。失敗作のくせして、やたら「名誉を傷つけられた」と騒ぐ。不良品だからこそ、プライドだけ肥大しているわけだ。そういうのがドストエフスキーの登場人物なのだ。

スペックが低くても平凡に生きていく人がたくさんいるわけである。冴えない人間として、たいして不満を持たず、欲のない人生を終える人もいるだろう。そういう「欲のない人間」にはドストエフスキーは理解できないと思う。また「失敗したら自殺すればいい」と考えている若者にもドストエフスキーは理解できないと思う。人生に見事に失敗してるのにのうのうと生きていて、野心や欲望が人一倍というのがドストエフスキー作品の登場人物たちであり、そこに人間的なリアルを感じられるかどうかである。

単にクズの所業が描かれるだけではない。カラマーゾフの兄弟のセリフでいえば、聖母の理想を持っているからソドムに落ちるということなのだ。彼らは聖者になりそこねた俗物たちなのである。生まれてからずっとクズというよりは、元々は立派な理想を抱いてたりしていたものの、だんだん堕落してゲスになっていく俗物たちなのだ。聖と俗の混濁がドストエフスキー作品の魅力であり、そういう「なりそこねた」感じに共感できるかどうかが、作品理解の最大のポイントとなるのだ。







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