幼い頃から偏頭痛に悩まされてきたカチェリーナだが、久しぶりに閃輝暗点に襲われた。目の前に浮かぶ奇妙な幾何学模様であり、これがカチェリーナと現実世界を隔てる。歯車が蛾の鱗粉のような毒々しい光を放って回転していく。こうやって視覚がおかしくなると、血のにじむ笞刑のような禍々しい偏頭痛がやってくる。カチェリーナはほとんど効果のない鎮静剤を飲んで、ベッドに寝転がった。
ソーネチカにフラれたことで、すべてが灰燼に帰した。ソーネチカは内面世界と現実世界がシームレスに繋がっている聡明な少女だった。内面でもがいて生きていたカチェリーナにとっては、憧れだったのだ。素直で優しそうだし、落ち着いた柔らかな物腰で気品のある流暢な話し方をする人だった。彼女と接することで、カチェリーナもその感覚に共鳴し得たのだが、スケベ心を起こしたため、すべてが台無しになった。
眼窩の奧の方の鈍痛が燎原の火のごとく細胞を蝕みながら広がっていく。溶け込んだはずの現実から放り出されたのだから、それにふさわしい宿痾に饗されているのである。

そうやって半死半生の状態でうつらうつらしていると、いつの間にか朝が来たようだ。
「カチェリーナ様、遅刻しますよ」
グルーシェンカが起こしに来た。
「身体が動かない。死体と同じだ。人差し指の第一関節すら曲がらない」
実際カチェリーナの身体からすべての力が失われていた。これが動作するとはとても思えなかった。
「一度不登校になると、行きづらいですよ。無理してでも行かないと」
「学校で友達を作るのに挫折したのだから、もういい。行く意味がない」
死後硬直のような肉体の軛から逃れるのは無理だった。この肉体という器官に血を通わせて、孤独な学校生活のために歩き出すなんて不可能であった。
「どうするんですかね」
「ひとつ提案がある。以前おまえに一億ドル提示して友達になってくれと言ったが、二億ドルに引き上げるので受け入れてくれ」
「そんなことしてどうするんです」
「友達が出来ないのだから、金で買うしかない。おまえは天才少女として名高いし、ここの由緒正しい家柄とか人脈を含めて考えれば二億ドルが妥当だと判断した」
「お断りします。仮に友達になったら、わたしが行くところ行くところにカチェリーナ様がくっついてくるわけです。社交性のない人間が社交性のある人間と友達になりたがるのはわかりますが、迷惑なんですよね」
グルーシェンカは冷淡だった。カチェリーナは大富豪であるが、グルーシェンカの家も相当な資産家なので、金には飛びついてこない。カチェリーナは絶望し死骸のように横たわるだけだった。
ソーネチカと友達になって現実世界に触れるというプランがご破算になり、グルーシェンカも金では動かないから、陽の当たる現実世界から遠く離れたところに沈んでいくしかなかった。
グルーシェンカはそういう死体のようなカチェリーナを見ながら、考える素振りをした後、提案をした。
「カチェリーナ様と友達になってくれそうな貴族に心当たりがあります。年は上ですが」
「おばさんは嫌だ」
「いや、女子大生です」
それを聞くとカチェリーナはむくりと起き上がった。先ほどまで指の関節すら動かせなかったのが嘘のように、手足に血が通い、表情は生気を取り戻した。死相が浮かんでいた瞳にも活力が宿った。
「では、その女子大生に会いに行くか」
カチェリーナはいそいそと身支度を始めた。盛り場でコニャックを傾けて女子大生とワイワイやれば、この孤独も癒されるだろう。ひょっとするとお持ち帰りだって出来るかもしれない。
「以前カチェリーナ様も会ったことがある人物です。わたしの姉のリザヴェータなんですが」
「げっ、あいつかよ」
カチェリーナは以前、天才であるリザヴェータとの画力の格差を見せつけられ、漫画家を断念したのである。リザヴェータは大学の寮に住んでいるので、あれ以来顔を合わせていない。
「リザヴェータ姉さんはカチェリーナ様を崇拝していて、絵もたくさん描いてるんです」
グルーシェンカはリザヴェータの絵を持ってきた。そこにはいろんなカチェリーナが描かれていたが、まさに天才と呻るしかなかった。どれを見ても構図に狂いが無く、眺めているとその世界に吸い込まれていくようだった。
「リザヴェータ姉さんは実物のカチェリーナ様をモデルにして描きたいそうです。これらの絵は写真を参考に描いてますが、実物がモデルなら、さらにすごい絵が描けるそうなんです」
「だったら協力しない。これ以上天才性を発揮されたらわたしが惨めだ。わたしより絵が上手い奴は全員死ねばいい」
「カチェリーナ様より絵が下手なひとって地球上にいないでしょう」
「それならば地球まるごと劫火に焼き尽くされるがいい」
カチェリーナはリザヴェータの絵を持って台所に行くと、ガスコンロで燃やした。
「才能への嫉妬はわかりますが、仲良くなれる人にまで嫉妬しなくていいでしょう」
「わたしにもアーティストとしてのプライドがある」
「アーティストは断念して学校に通うことにしたじゃないですか。ようやく勉強だって出来るようになりました」
「学校はやめたんだよ。友達がひとりもいないからな。アーティストになって見返してやるんだ」
ソーネチカとは友達になれなかったし、グルーシェンカは二億ドル貰っても友達になりたくないと言う。
この絶望的な孤独は芸術家として昇華するしかないのだ。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング