AO入試で偏差値の高い大学に潜り込んだコミュ強が難しい勉強に付いていけないという問題は指摘されており、この根幹にあるのは注意力への過大評価である。これが修正されるのかと思ったら、まったくそういうことはなく、さらに「人物本位」に加速するようである。今は大学全入時代である。偏差値にこだわらなければ、誰でもフリーパスで大学に入れる時代である。だから大学は低知能に門戸を閉ざしていない。なぜ低知能なのに高偏差値の大学に入りたがるのか、という疑問も提示しておく必要がある。もちろん偏差値が高い方が有利だからという単純な動機なのは言うまでもないが、美しい大義名分はあるまい。

人物本位で選ぶなら、津田大介のように注意力が高い人間が東大に入れるようになる。津田は知力は凡庸であり、それがゆえに東浩紀の昔ながらの読者は呆れて離れていった。津田のように注意力があり、落ち着きがあり、流暢に他者と関われるのはすごいと思うが、それは知力とは違う。知力というのをなめてもらっては困る。しかし、これからは東大も人物本位の推薦入試で入れるらしいので、津田くらいの知能でも東大に入れるのだろう。

繰り返すが大学全入時代である。誰でも大学には入れるのである。決して低偏差値の人間を大学から排除していない。誰でも大学には入れるので、その点は問題がない。だから対人スキルの高い人間を、学力的に無理な高偏差値の大学に入れてやる必要はない。しかしAO入試ですでに問題があるのに、それをさらに加速させようとしているのだ。

注意力と知能はまったく別である。運動と学力くらいの違いがある。いくら注意力が高くても低知能は低知能なのである。注意力が高いと周囲への目配りが出来ているので、いろいろ気が回るから、いかにも「人間性」が豊かであるように見える。だが、神が死んだ21世紀において、人間性という亡霊を持ち出す必要はないだろう。問題とされているのは、注意力が低い人間のボンクラな性質なのである。

発達障害があると、学力があっても能力的に欠損があり、完全なポンコツだ。こいつらを排除したいというのはわかる。ADHDは18歳未満で診断されればコンサータという特効薬があるので何とも言えないが、コンサータを処方されないADHDは、東大に入れる学力があろうとも単なる能無しである。だから発達障害者というゴミクズを入試で落とせばいいだけなのである。人間性などという奇妙なワーディングを使って、注意力が高い低知能を高偏差値の大学に入れてやる理由はない。

最近は人文系の学問が軽視されており、そういう教養主義が排除されるのは時代の必然ではある。身につけても実益のない教養が斜陽になるのは仕方がない。とはいえ、人文系の価値を否定するのはおかしいだろう。人文系の学問に実益がないのは非常に明らかであるが、実益がないという理由で、学問の価値まで否定するのでは、完全な狂気とさえ言えるのである。その狂気が暴走し、「注意力」という実用性の高いスキルの持ち主を無理矢理高偏差値の大学に入れるようになってるのだ。やるべきことは発達障害者というポンコツを排除することであり、注意力を過大評価することではない。津田大介に学問をやらせても無駄なのである。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング