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他人の親に言及するのはなかなか難しいものである。本質的に根無し草であるわれわれ人間存在は、自らのルーツを求めざるを得ないし、わけもわからず地球に生まれて生きている流浪の民だという現実から目を逸らしたいから、お父さんがいておじいさんがいて、というクロニクルな物語性で自分の根っこを理解している。
料理をしない有村さんの母親をクソと呼ぶとなれば、神武天皇を信じることで日本という国体に帰属しているネトウヨに「神武天皇なんているわけねえだろ」と言うのと同じであるし、エルサレムが約束の地だからユダヤ人が乗っ取ってもいいという世迷い言を世界は認めたわけだし、ルーツを求める業病は尊重せざるを得ない。
有村さんの母親はこどもにゲームをさせなかったり、東大以外は認めないと主張する高卒の女であったが、育ちのよい家に生まれた娘さんというよりは、貧困家庭でお嬢様のような自閉的意識を培ってきた神経質な眼鏡女と思われる。有村さんは宅間や加藤を崇拝しているわけだが、加藤の母親とも通底するものがある。大学受験、すなわち偏差値というものは圧倒的なヒエラルキーでありながら機会均等であり、そこにしがみつく教育ママという存在を大量に生んだ。教育ママの特徴は、本人が無教養であることだ。つい最近まで農奴だったような階級の人間でも、東京大学に合格すれば皇帝として戴冠することが可能なのだから、低学歴の主婦達がおきつねさんのように学歴を崇拝したのである。まともな文化資本や教養の背景がなくても高学歴を手に出来るという夢があり、その挫折が加藤を秋葉原で大暴れさせたのだが、有村さんと加藤智大の類似性は明らかである。
育ちのよい人間に接すると、その存在の安定感に驚かされる。育ちの悪い人間は他人からナメられたくないため、四六時中癇癪を起こし攻撃的なオーラを発しているのだが、育ちがいい人間はナメられたら終わりという緊迫感とは無縁であり、とてもまともな人間性を持ったりしているのである。こう考えると、人間性などというのは、一回しか人生がないから生まれる虚妄であり、人間性のよさなんて育ちのよさの余裕でしかないから、魂の永遠性など当然のごとく否定されるべきなのだが、下賤な人間でも現世の桎梏から逃れ、俗塵の穢れを断ち切り天国に行きさえすれば、本来的で永遠的な美しい自分になれると願うのだろう。







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