2013.12.05

狭き門

リザヴェータを知る人は誰でも彼女を温厚で優しい人格者だと思っていた。それは確かなのだが、妹のグルーシェンカは彼女の頑固な性格を知っていた。グルーシェンカは心神喪失状態のカチェリーナを城のベッドに運んだ後、今後の対策に頭を痛めていた。リザヴェータはとても暖かい人間性の持ち主でありながら、芸術に関しては妥協が無く、柔軟性の欠片もない。カチェリーナと寝たら絵が描けなくなると信じ込んでいるのである。この思い込みを撤回させるのがとても困難であるのを妹のグルーシェンカは知っているから、これからどうやって和解するか悩んでいるのである。
「わたしはもうあの家に戻れないのだろうか」
枕に顔を埋めているカチェリーナが小声でつぶやいた。
「戻ることは出来ます。今回の件を先ほど両親に正直に話したのですが、まったく問題ないと言ってます。わたしが男でも連れ込んでいたらショック死するでしょうが、カチェリーナ様と寝たくらいで問題になるはずがありません。リザヴェータ姉さんだけが騒いでいるのです」
「リザヴェータに嫌われた状態であの家に居候しても意味がない」
「まあそうですね。なんとか仲良くできればいいんですが」
グルーシェンカは姉のリザヴェータを愛しているから、三人で仲良くやれたらどんなに素晴らしいだろうと願っているが、その困難さに絶望していた。
「わたしにとってリザヴェータは最愛の女性だ。相思相愛だと思っていたのに、なんでこんなことになったのかわからない」
「姉さんは嫉妬に狂っているだけです。最近わたしとカチェリーナ様がベタベタし過ぎていたので、積もり積もった妬みが凄かったんでしょう」
「だったらいくらでも抱いてやるんだけどなあ。やらせないくせして嫉妬だけは一人前とか、この世にこれだけの絶望があるだろうか。やらせてくれるか、妬むのをやめるかどちらかにして欲しいものだ」
「わたしが姉さんの分まで愛します」
「おまえは裏表があって小狡い性格だ。リザヴェータの人間性には遠く及ばない」
「あなたはもっと人の気持ちを考えてから発言した方がいいと思いますよ」
「リザヴェータとグルーシェンカを両手に花の状態で愛するのがわたしの夢だったのだ」
「グループって、全員の仲がいいとは限らないんです。仲のよさは均等ではなく、誰かが誰かを嫌っているとか普通です。でも、わたしたち三人はそれぞれが他の二人を好いているので、本当に理想的な関係だったんです」
「ではなぜわたしが追い出されるという事件が発生したのだ」
「姉さんはカチェリーナ様と寝ないことを芸術家としての存在理由にしてるのです。片想いの相手を描くことで天才的な作品が生まれると考えています。姉さんは芸術に関してはすごい頑固なので、撤回させるのはかなり困難だと思われます」
性欲の昇華が芸術の源であるという側面を考えれば、カチェリーナと寝たら才能が消えると考えているリザヴェータの感覚も、それなりに理はあるのだろうが、おそらくリザヴェータがカチェリーナと寝たら、描く絵が変わるだけだろう。とはいえ、天才と認められているリザヴェータの芸術的信念を妄想と片づけるわけにもいかず、グルーシェンカもそれを尊重せざるを得ないのである。
「おまえでも説得は無理なのか」
「他の女なら、まずわたしが口説き落として性的関係を持って、それからカチェリーナ様にお譲りすることが可能ですが、さすがのわたしも血の繋がった姉とは出来ません。カチェリーナ様の貧弱なソーシャルスキルで立ち向かうしかないのです」

翌日カチェリーナは学校を休んだ。グルーシェンカはずいぶん説得したのだが、梃子でも動かなかった。以前であれば殴る蹴るの暴行を加えて学校に放り込んでいたのだが、このところすっかり親密になったので、甘えも生じているようだ。
「楽園から追放されたのだから、もはや何をやっても無駄なのだ」
カチェリーナはすっかりふて腐れていた。
「わたしだけでもカチェリーナ様を支えますから、頑張りましょう」
「リザヴェータとグルーシェンカの両方が必要なのだ。片方だけでは意味がない」
そうやって話していると、訪問者があった。
見ると、リザヴェータがしおらしい姿で立っていた。
「学校に問い合わせたら、カチェリーナ様が登校してないというものですから」
カチェリーナは飛び起きるとリザヴェータに走り寄ってすがりついた。
「わたしはあの最高の家庭環境だから学校に通えるのだ。ネグレクトされて天涯孤独のわたしが頑張っていたのは、あの素晴らしい家庭があったからなのだ」
「カチェリーナ様はあの家にお戻りください」
「いいのか」
カチェリーナは歓喜の声を挙げた。
「ええ。わたしが家を出て行くことにするので、カチェリーナ様とグルーシェンカはお戻りください」
「なんでだよ。リザヴェータがいない家なんて意味がない」
「最愛のカチェリーナ様と一緒に暮らすのが辛いのです。遠いところでカチェリーナ様のことを考えて生きようと思います。人を深く愛するのは孤独なんです」
リザヴェータは背を向けると部屋を出て行った。
カチェリーナは廊下まで追いすがった。
グルーシェンカもその後を付いていった。
「姉さん。これじゃあ、まるで悪質なキャッチセールスを振り払う態度じゃないですか。わたしとカチェリーナ様はこんな邪険に扱われるべき軽い存在だったんですね」
「そんなことはありません。わたしにとってカチェリーナ様とグルーシェンカくらいに大切な存在はいません。だからこそ、一緒に住むわけにはいかないのです」
「せめて話し合いはして欲しいです。でも、われわれのことを話す価値もない相手と思ってるみたいですから、歯牙にも掛けないのですね」
「わかりました。話し合いましょう」
リザヴェータはため息を吐いてから向き直った。
そしてカチェリーナの部屋に戻り、三人で話すことになった。
カチェリーナはリザヴェータの手を握って熱弁を振るった。
「わたしにはグルーシェンカとリザヴェータの両方が必要なんだ。悪魔的なソーシャルスキルを持つグルーシェンカにはいろいろ教えられて世話になったし、人間性に溢れたリザヴェータには心から愛情を注いでもらった。わたしは大変な恩義を感じているし、おまえらに何か危機が訪れれば、わたしの財力を持ってしてどのような強大な敵とも戦うだろう。まだ恩返しをしてないのに、お別れなんてあり得ない」
こういうカチェリーナの熱心な様子を見て、グルーシェンカは口を挟まない方がいいような気がした。いろいろと屁理屈は用意していたのだが、それは言わない方がいいと思ったのだ。
「たぶんお二人でじっくり話し合われた方がいいでしょう。わたしは席を外します」

グルーシェンカは扉を閉めて表に出ると、先ほどリザヴェータを引き止めた際に落ちたと思われる荷物を見つけた。中身をあらためるつもりはなかったが、何となく手に取ると一冊の本が落ちてきた。アンドレ・ジイドの「狭き門」だった。これはリザヴェータの愛読書である。おそらく今回の件を機に再読したに違いなかった。狭き門のヒロインのアリサは主人公ジェロームの愛を受け入れようとしない。周りの誰もがアリサとジェロームはお似合いであり、遠からず結婚するだろうと考えているのに、アリサは婚約すらしないのだ。そのアリサの決意は頑なであり、ふたりは疎遠になりながら時間が過ぎていく。やがてアリサが病気になり、その生涯を終えたという訃報が主人公に届く。残されたアリサのメモワールには、神への愛とジェロームへの愛の間に揺れる想いが綴られていた。アリサは神への信仰を貫き、ジェロームへの愛を断ち切る辛さに耐えながら茨の道を歩き、病に倒れ、この現世の途上で客死したのである。グルーシェンカは「狭き門」を読み直しながら、リザヴェータとカチェリーナの運命を案じた。カチェリーナと寝たら絵の才能が無くなるというリザヴェータの考えは妄想だと思われたが、そういう信念で天才的な創作活動を行っているのは確かだ。このような殉教者の考えを覆すことなど出来ないのである。上っ面の友達はたくさんいても、本当の親友などいないグルーシェンカにとって、リザヴェータとカチェリーナは特別すぎる存在だった。三人で仲良く暮らしていけたらどんなに素晴らしいだろうと思っていたが、そろそろ終わりの時が近づいたようである。芸術の殉教者たるリザヴェータを、現世の幸福に引っ張り込んで堕落させるわけにはいかないのだ。「狭き門」のアリサが神に殉じて死ぬように、リザヴェータも芸術のために立ち去らなければならない。いつの間にかグルーシェンカの頬を涙が伝わっていた。

ひとしきり泣いてからグルーシェンカは、運命に向き合わなければならないと思った。リザヴェータに拒絶されてカチェリーナは泣いているに違いない。まるで轢死体を確認しにいくようなつもりで、グルーシェンカはカチェリーナの部屋のドアをおそるおそる開けた。すると中では驚愕するべき光景が待っていた。カチェリーナとリザヴェータがお楽しみの真っ最中だったのである。リザヴェータはその裸体を快楽に打ち振るわせ、もはや別の世界に逝っていたが、カチェリーナがグルーシェンカの姿に気づき、ニヤリと笑みを浮かべた。グルーシェンカは膝を震わせながら部屋の外に出て、扉を閉めた。あり得ない事態を目撃して動揺はしたが、少し落ち着いて考えると、たぶんこれからは三人で仲良くやれるのだろうと安堵した。

しばらくしてからグルーシェンカは再び扉を開けた。行為は終わっており、カチェリーナとリザヴェータが裸でベッドに横たわっていた。
「姉さん。まさかこのような展開は予想してませんでした。あなたは芸術家として筆を折ったということですか」
「想像を遥に超える体験をしたので、別の絵は描けるかもしれません」
リザヴェータは悪びれる様子がなかった。
完全に満足し、すべてが満ち足りたという表情である。
「しかしカチェリーナ様はよく姉さんを口説き落としましたね」
「どれだけわたしがリザヴェータを愛しているかを説明しただけだ。それだけで感激して股を開いたんだ。女なんて誰とでも寝るらしいが、本当だったな」
「それはひどいですわ。わたしはカチェリーナ様を崇拝してるんですから、すごい特別なんです」
「何にせよ、姉さんと和解したようですし、カチェリーナ様は明日から学校に行くんですね」
「最高の上流階級の家庭に住んで、二人の令嬢を抱きまくれる立場になったのだからな。学校くらいは余裕で行く」
「最高の家庭環境で令嬢を抱けないと学校に行かないのですから、素晴らしい御身分ですよね」







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