カチェリーナはグルーシェンカと共に本の執筆作業を進めていた。
凡人であることが露呈すると怯えていたグルーシェンカの機嫌もよくなり、カチェリーナとしても、内容はずいぶん改善されたという手応えがあった。
「ところで、あまり触れたくないのだが、うちの城でおまえの親戚のナスターシャという自閉的な少女を預かっているわけだ」
「わたしもあいつには触れたくないです」
ナスターシャはアスペルガー症候群で両親から虐待されている。時々グルーシェンカの家で預かったりしていたのだが、うまくいかなかった。だから廃墟になっているカチェリーナの城に住まわせることにしたのだ。
「ソーシャルスキルについての本を書くわけだから、ナスターシャの問題に取り組んでみるのも一興だと思う。あれだけ想像力が足りない人間もそうはいないだろう。もちろんグルーシェンカは現実を判断する能力が高いから、おまえが駄目だというのならこの案は没だ。でも、おまえの親戚でもあるのだから、永遠に放置しておくわけにもいかないだろう」
「ですよねえ。会いたくないですが、悲しいことにわたしの血縁者なので、どこかで関わらざるを得ない。それに問題児として重要なサンプルとも言えます。ところで、あの子は城で何をやってるのでしょう」
「プログラムばかりしてるらしい。スキルは確かなんだよな」
「かなり出来るはずです。でも子どもの頃からパソコンがあるのが普通の世の中になったわけです。プログラム出来るのは珍しくない時代です。プログラムできる環境が限られていた時代のハッカー幻想は完全に過去のものです。ナスターシャは非常に優れてはいるけど、希少な存在とは言えません」
それからカチェリーナとグルーシェンカは車で城に向かった。
「おまえそんなに嫌なのか」
グルーシェンカが気乗りしないようなので、カチェリーナは尋ねた。
「だって博愛主義者のリザヴェータ姉さんがこの世で唯一嫌っている人間ですからね。カチェリーナ様は自閉傾向があっても中身が素晴らしいからいいんですが、ナスターシャは中身が本物のクズなんです。知れば知るほど嫌になりますよ」

そしてカチェリーナの城にたどり着いた。ベルサイユ宮殿を摸して造られた城であり、700の部屋を持つ。家柄にコンプレックスのあるカチェリーナは、この城を建てることでお姫様となり、上流階級の令嬢を集めて連日のように舞踏会を開くつもりだったのだが、誰も訪れなかったので、巨大な廃墟として放置されている。それでも維持するための人は雇っており、カチェリーナは出迎えた使用人に訪問の目的を告げた。
使用人は少し当惑したような表情を見せた。
「あの子は普段は無言でパソコンに向かってプログラムばかりしてますが、時々ひどい癇癪を起こすようですよ。専用の世話係が二人付いてますが、なかなか大変です」
「医者には診せてないのか」
「不定期にアスペルガー症候群の専門医に来て貰ってます。でも治す方法もないそうなので」
それからカチェリーナとグルーシェンカは使用人に案内されナスターシャの部屋に行った。
その広さにグルーシェンカは驚愕しているようだった。
「ここは壁を壊して五つの部屋を繋げたんだ。わたしは話に聞いていただけで、実際に見るのは初めてだが、ひとりで使ってるにしては、かなり広いな」
この城は、ルブランがデザインしたベルサイユ宮殿の内装を真似ているのだが、壁を壊した際に、絨毯と壁も張り替えたようでバロック時代の輝く装飾品はすべて取り払われていた。古き宮廷文化の光沢のある色合いは台無しにされており、やたらと黒系統の備品で敷き詰められ、それ以外は白だった。色彩を失ったような巨大な空間には大量のパソコンやサーバーや機械類が置かれおり、暖かみや美しさは荼毘に付され、記号的な無機質さだけが誇示されていた。
「この子は人間が理解できないのに、機械は理解できるんです。機械いじりが得意ですから、使いこなせているのだろうと思います」
グルーシェンカは独り言のようにつぶやいた。
この冷たい巨大空間の中央に座しているのがナスターシャだった。ナスターシャは16歳だが、相変わらず小柄で150センチないくらいの背丈は全然伸びてないようだ。容姿は普通であり、醜くはないが、特別な器量よしでもない。少女の場合、身長が低いと需要が高まることもあるし、その小柄な体躯は可愛らしいとも言えたが、ぱっとしないのも確かである。
それからカチェリーナはナスターシャの方に近づいていった。
「プログラムしてるらしいが、成果を見せて欲しいものだ。成果なんてなくても、ここに居続けて構わないのだが、どんなものか見てみたい」
それに対してナスターシャは無言だった。
グルーシェンカが嘆息しながら説明した。
「この子はこれでもなかなか知能が高いんです。ペーパーテストやらせると結構出来るんです。でも知能の高さが逆に厄介で、親からは嫌われて虐待されてます。こうやって黙り込んでるけど、しゃべり出すとやたらと弁が立つんです」

カチェリーナたちは少し離れた場所でそれとなく様子を見ていた。
ナスターシャが時間を気にし始めたので、なにかと思っていると、突然立ち上がり、大きな鞄を肩にぶら下げた。
ナスターシャは150センチあるかどうかの小柄なので、危なっかしくも見えたが、世話係に支えられつつ、ガサツな性格そのままにズカズカと歩いて部屋から出ていった。
「あの子は時々鉄道の写真を撮りに行くのです」
使用人が言った。
「付いていっていいかな」
とカチェリーナが尋ねると、使用人が同行して様子を見に行くことになった。
ナスターシャは駅のホームに着くと、鞄からカメラなどの機材を取り出し、世話係と一緒に撮影の準備を開始した。
「鉄道オタクだというのは知ってましたが、ずいぶん本格的ですね。どうせカチェリーナ様のお金で買ったんでしょうが」
グルーシェンカがつぶやいた。
それからナスターシャはコンクリートのホームに座り込み撮影を始めたが、それが大変なのである。撮影の邪魔になる人間に対して癇癪を起こし、罵詈雑言を吐いて食ってかかることがあった。150センチないおかしな女の子ということで、通行人は眉をしかめるだけであり、喧嘩になることなどなく通り過ぎていくが、カチェリーナは見ていてヒヤヒヤした。本人の中でルールがあるようで、それを乱されると癇癪を起こすから難しい存在だった。やがて撮影が終わったようで、ナスターシャは帰る準備を始めた。このあたりも突然である。

カチェリーナは城に戻ったのだが、普段からナスターシャについている世話係にいろいろ話を聞くことにした。カチェリーナの部屋に世話係を呼んで話をすることになった。世話係もなかなか大変なようで、苦労している様子が伝わってきた。
「わたしの親戚のことで申し訳ないです」
グルーシェンカは恐縮していた。
そうやっていろいろ問題行動について聞いていたのだが、その世話係が声を潜めた。どうやら言い淀んでいるようだったが、たぶん言うのだろう。こういう時、人間は迷った仕草をしてみせるものだ。
「密告するみたいで嫌ですが、あの子は変なブログをやってるんです。そこでカチェリーナ様のことを批判してたりするんです。他に行き場の無いような子がこの城で好き放題してるのに、カチェリーナ様の悪口を書くなんて」
カチェリーナはそのブログを見てみることにした。
真性引き篭もりというタイトルのブログであり、世の中の様々なことを苛烈に批判しているようだった。
「なんかすごいことが書いてあるな。わたしの血筋が下賤だとか」
カチェリーナは苦笑いした。
「許し難いですね。必ず制裁しますので」
手に負えない親族の不始末に、グルーシェンカはかなり頭に来ているようだ。
「わたしも親からネグレクトされたから、親から虐待されてるナスターシャは他人事とは思えない。親から可愛がられてたら、こんなこと書かない」
「あいつは知れば知るほど嫌になりますよ。機械は理解出来るのに人間は理解できないのだから、親が持て余したのは当然だと思います」
それから二人は他のエントリーも読んでいった。
「このナスターシャの真性引き篭もりというブログは悪意の固まりだが、かなり批判精神に富んでるな。わたしの父親について糞味噌に書いてるが、かなり的確な批判だ。わたしに無関係な他のエントリーも読んだが、なかなか示唆に富んでいる。決して支離滅裂な妄想ではなく、人間や社会に対する怨恨と憎悪に基づいた洞察も鋭い。頭の中の理屈はかなりしっかりしてる」
「カチェリーナ様はお優しいですね」
「リザヴェータとグルーシェンカの優しさに比べたら全然たいしたことない」
「そのリザヴェータ姉さんの唯一嫌ってる人物がナスターシャなんですけどね。この真性引き篭もりというブログの内容を見れば、ナスターシャが誰からも嫌われる理由がおわかりでしょう」
「いずれにせよ、うちの城から追い出すことはない。野に放ったら何やるかわからんし、あの部屋に軟禁しておくのがいいだろ」

それからカチェリーナは一人でナスターシャに会いに行った。
ナスターシャの真性引き篭もりというブログは悪意の固まりだったが、分析力の高さは見るべきものがあり理屈は通っていた。カチェリーナも理屈っぽい自閉的な性格で親から嫌われていたので、まったくの他人事とも思われない。理屈で話せば通じるかもしれないと考えたのだ。
「おまえの真性引き篭もりというブログを読んでみたが、差別や偏見に満ちてるとはいえ、なかなか理屈は通ってるな。論理的な思考は得意なようだ」
「身分カースト最下層のおまえが、僕みたいな名門貴族の文章を論評するなんてねーわ」
ようやく口を開いたと思ったらこれだった。
出鼻を挫かれたカチェリーナは頭に血が昇らないわけでもなかったが、ナスターシャは自分に似ていると感じていたから、むしろ同情の念が湧き起こった。
「わたしも理屈っぽいのが原因で親からネグレクトされたから、わからないではないが、機械が好きなのはいいとして、人間的興味も持ってみたらどうだ」
「不可触民が僕に口出しするな。おまえは次はどんな虫に生まれ変わるんだろうな。どうせ回虫だろうがせめて益虫になれよ」
これは手に負えないということで、カチェリーナは退散することにした。
それからグルーシェンカと会って、今のやり取りのことは話さなかったが、
「仮にニュートンが現代にいるとしたら治療した方がいいのだろうか」
と尋ねてみた。
「ナスターシャはニュートンみたいな天才ではないです。あと、治療できないから困ってるのです」
グルーシェンカは冷淡だった。
「仮にナスターシャの内面が美しかったらかなり萌えるんだけどなあ。自閉で小柄な女の子がお城で一日中プログラムばかりの生活なんて百合的に萌えるだろ。家柄もかなりよいわけだし、さして可愛くはないが、お嬢様とも言える」
「仮に中身が美しければ価値が高いというのは同意しますが、ナスターシャの内面くらいに醜いものはこの世にありません。本物のクズです。真性引き篭もりというブログの存在を知ってますます確信しました。カチェリーナ様は自閉でも、単に周りが見えてないだけであり、内面の人間性はとても美しいので萌えますが、ナスターシャはアスペルガーの成分が内面にまでどす黒く繁殖し、全身がアスペに冒されているのです」
「あの真性引き篭もりってなかなか理屈が通ってるから本人は正義だと思ってるんだろうなあ」
「ああいう正義くらいに嫌われるものはないんです。温厚で真面目な人は好かれますが、正義感が強くて激昂しやすいタイプの人はすごい嫌われます。理屈に長けている人間が他人の欠点だけ探して長広舌を振るうなんて、好かれるわけがない。あの真性引き篭もりというブログを見たら、あいつの頑固で気難しいアスペ的な内面がなまなましく伝わってきて、圧倒的な嫌悪感しかありません」







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