カチェリーナとグルーシェンカはナスターシャの扱いについて議論していた。
カチェリーナとしてはナスターシャがおとなしくしている分には何の問題もなかった。
この城はどうせ使ってない。
もしくは使ったとしても、部屋が700ある巨大な城だから、ナスターシャがひとりいたところで問題はない。
「問題はおとなしくしていてくれるかどうかなのだ。あの部屋に籠もってプログラムだけしているなら放置しておくが、何かやらかす可能性もないとは言えない」
「ナスターシャがやってる真性引き篭もりというブログのせいで自殺した人が何人もいるそうです。脛に傷のある人間を追い込むのが天才的なのです。理屈にはかなり長けてますから、あいつに反論するのは容易ではなく、真性引き篭もりにターゲットにされた段階で死を意味するようです」
そうやってナスターシャがいかにゴミクズかと語り合っているうちに、カチェリーナは気になることがあった。
「ナスターシャが他人から嫌われているということを、おまえは繰り返し言っているわけだが、そもそも嫌うとはなんだろうか」
「実親から虐待され、学校ではいじめられて不登校。ネットをやれば、真性引き篭もりみたいな悪意の固まりのブログを開設する。誰からも嫌われているというのに異議はないでしょう」
「多くの人がナスターシャを嫌っているというのは事実だろうが、それを援軍のようにして、ナスターシャを批難するのはいかがなものか」
「おまえはみんなから嫌われているみたいな物言いが嫌なわけですね」
「わたしは倫理的なことを言っているわけではない。倫理的な結論を出してお開きという思考停止は望んでいない。倫理を越えた次元の話をしなければ、天才にはなれない。嫌うのがよくないという倫理の話ではなく、好き嫌いのメカニズムを説明せよと言ってるわけだ」
それからカチェリーナはグルーシェンカの発言を待った。
グルーシェンカは簡単に結論を出して終わらせる傾向があるので、カチェリーナはそれを矯正しようと思っているのだ。
「人を嫌うというのは、かなり正当性のある論理なんです。単に嫌いだという理由はすごい大義名分があるんです」
「その視点は面白いじゃないか。思考を止めないでもっと広げてみろ」
「嫌いという感情はすごい説得力があるのです。嫌いだから他人を攻撃するというのは、かなり認められている。キチガイであるどころか、すごい真っ当だと思われてるんです。だから人を嫌うのも合理的なんです」
「人を嫌うのが不当な行為だという批難はあまりないよな。むしろ生理的嫌悪感くらいに幅を利かせているものはない」
「わたしが興味深いと思っているのは、他人を嫌う理由を説明するのがほとんどないことなんです。AがBを嫌っているとします。そしたら、Aは無言でBを攻撃するのです。嫌いな理由については黙して語らず、理由については完全沈黙したまま、嫌がらせや暴力を行うのです」
「それも面白いな。もっと話してみろ」
「いじめられている側が説明を求めるのもないんです。嫌いな理由が不明のまま、いじめだけが進行するのです」
「なぜなのだろう」
「理由が不明とはいえ、察しが付くからでしょうね。とはいえ、いじめられている側が説明を求めるというのは対抗手段としてあり得ます」
「人間って、理由を言いたがらない生き物だよな」
「説明を求めるのって、ある種の喧嘩ですからね。真っ当な理由があるなら言ってみろよ、ということであり、相手に挑戦しているわけです。この挑戦的な態度がいじめを悪化させるおそれもあるので、弱者は説明を要求せず、おとなしくするしかない」
「ナスターシャは本当に弱者なのだろうか。身体小さいし、運動も出来そうにないが、プログラムは相当に出来るんだし、勉強も出来るわけだろ。理屈はかなりすごいわけだ。人間が理解できなくても機械いじりは得意なようだし、エンジニアの適性もあるはず。金を稼げる要素はかなりありそうだ」
「ナスターシャみたいなのをナードというのです」
「ナードだと悪いのか」
「女の子はナード男性を嫌います。ナード男性と婚前交渉なんかしません。そのくせして結婚するとなると、所得が高いナード男性と結婚するのだから呆れます。ナスターシャは女の子なので、ナードの典型というわけでもないですが、嫌われるタイプなのは間違いないです」
「なんでナードは嫌われるのか」
「進化の過渡期だと思います。人間が文字を使い始めたのは5000年前なので、45億年の地球の歴史からすれば、つい最近です。まだまだ本能的には、猿として強い男性がモテます。いずれマッチョとナードは別の種に枝分かれするでしょう」

それからカチェリーナはひとりで廊下に出た。
そしてナスターシャのところに向かった。
例の巨大な部屋の中央でプログラムをしているようだった。
「あの真性引き篭もりというブログ、いつまで続けるんだよ。おまえに追い詰められて自殺した人もいるらしいじゃないか」
何となく話を切り出したつもりだったが、ナスターシャはいきなりマグカップで目の前のディスプレイを叩き壊した。コーヒーの飛沫が飛び散り、液体にまみれてひしゃげたディスプレイが床に落ちた。
カチェリーナはナスターシャが睨み付けてくると予想したのだが、ナスターシャはひたすらパニックになっているようだった。カチェリーナは虚弱体質で身体の線も細く、背丈も160センチに満たないくらいだが、さすがに150センチ未満のナスターシャは取り押さえることが出来た。
ナスターシャには専属の世話係が二人付いているが、遠巻きに見守っていた。
世話係はカチェリーナの指示を待っているようだったが、カチェリーナは軽く首を振って、自分だけで対処することにした。
「僕は死んだって構わないんだ。俗塵にまみれて生命体として活動することが苦痛なのだから、この呪われた宿痾のような僕の心臓の脈拍を停止させてくれるなら、はじめて他人に感謝し地獄から解き放たれた悦楽で快哉を叫び、僕はノアの箱船である柩に飛び込むだろう」
「ここから追い出すとか一言も言ってないだろ。おまえプログラムはすごい出来るみたいだし、あの悪意の固まりのブログは閉鎖してもいいんじゃないか」
「口を塞がれることなく、最後まで意見を言えるのがブログだ。僕が理屈を語り尽くすと、誰も勝てないから、暴力的手段で制圧に来るが、僕が弾圧に対抗出来るのがあのブログだ。ブロガーになることで、僕は発言機会を得るんだ」
「真性引き篭もりというブログは、人を自殺に追い込んでるらしいじゃないか」
「醜聞を暴かれて自殺するなんて裏が真っ黒な人間であると自己証明したようなものだ」
どうやらナスターシャは世の中に対して強烈な敵愾心を持っているようだった。
真性引き篭もりを閉鎖させるのはかなり困難に思われたので、カチェリーナはその案を引っ込めることにした。

カチェリーナは、それから自室に戻った。
そしてグルーシェンカに今の出来事を説明した。
「ナスターシャがいくら弱者だからと言って、その内面のエネルギーの強さをなめてはいけません。アスペルガーは普通の人間よりエネルギーがあります。死に物狂いでこだわります。柔軟性がとても低いですから、アスペルガーのこだわりは修正できません」
「真性引き篭もりを閉鎖させるのは絶対に無理なんだな」
「強制的に閉鎖させることなら出来ます。わたしがやってもいいです」
「そうやって強要するんではなく、本人の自主的な意志として」
「あの子は空気が読めず想像力もないのだから、得意な理屈を言いたいのでしょう。理屈で世の中が変わると思ってるから、理屈で他人を糾弾するのが存在証明なんでしょう」
「そういうエネルギーでニュートンは万有引力の法則を発見したんだよな」
「ナスターシャが生み出したのは真性引き篭もりだけです」







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