グルーシェンカは世の中の矛盾に疑問を持たない人間である。与えられた世界をそのまま受け取っているだけである。だから二冊目の本を出すにあたり、自分でもその凡庸さに悩んでいた。一冊目の「想像と力」は語学力を駆使しラテン語の文献の引用を多用することで誤魔化したが、それを繰り返すわけにもいかない。二冊目を出して、凡庸さが露呈され、天才少女という設定が虚偽だと見抜かれるのを恐れていた。だが、カチェリーナに共同執筆してもらうようになってから、かなり草稿の内容はよくなっていた。グルーシェンカは自分から疑問は持たないが、カチェリーナに疑問を提示されると答えられるのだ。カチェリーナは世界や人間に強烈な疑問を抱いているタイプなので、上手い具合に相性が合うのだった。

ここのところは、ナスターシャという親戚の少女を観察することにしていた。
ナスターシャはアスペルガー症候群であり、親から虐待されていたので、カチェリーナの城に置いているのだが、そのためグルーシェンカとカチェリーナは城にいることが多かった。
そうやってグルーシェンカはカチェリーナと一緒に作業していたのだが、iPhoneで友人から「ネットで炎上している」と知らされた。
「なんかわたしがナスターシャのブログで批判されているらしいです」
グルーシェンカはとても寒々とした思いがした。
ナスターシャは屁理屈だけは天才的なので、何を書かれているか考えると恐怖であった。
「すでに1000を越えるはてブが付いてるが大丈夫か」
先に確認したカチェリーナが心配そうな顔をしていた。
グルーシェンカは目を背けたかったが、見ないわけにはいかない。やむを得ず、ナスターシャのやっている真性引き篭もりというブログを開いた。ナスターシャはリアルではアスペルガー症候群として誰からも嫌われているが、ネットでは天才的な理屈の力でアルファブロガーとして君臨しているのである。
エントリーを読むと、まずグルーシェンカは超人的な呑み込みの速さを持っているだけで、あまり知能は高くないと書かれていた。他人なら何年もかかることを瞬時にマスターできるので天才少女として扱われているが、あまり知能が高くないので、どこかで壁にぶつかると書いてある。スタンフォード大学に飛び級で入ったが、難問はサッパリ解けず、模範解答だけ憶えて要領よく卒業したという真実が書かれていた。そして「想像と力」に関しても、恵まれた環境に生まれ、語学に長けているのをひけらかしているだけだと見抜かれていた。いかに中身のない本であるか、というのが理路整然と理屈で説明されていた。そしてグルーシェンカは京都大学経済学部准教授の地位を確保しているが、超人的な呑み込みの早さで大学生レベルの経済学はすぐに出来るとしても、知能が低いので、決して偉大な経済学者にはならないと書かれていた。
「京都大学の話は断ったので、これは事実に反してます」
グルーシェンカはナスターシャの部屋に行くために立ちあがった。
それを察したようでカチェリーナが手首をつかんだ。
「ナスターシャにだって言論の自由があるのだから、暴力で制圧してはいけない」
「だって京都大学の話は嘘なんです」
「その一点だけで名誉毀損だと騒ぐのは図星を付かれた人間の典型的な行動だ。削除など求めれば炎上が拡大するからやめとけ」
カチェリーナにそう言われて、グルーシェンカは座り込むしかなかった。
確かに削除依頼などで騒げば、火に油を注ぐ格好になりかねない。零細ならともかく、真性引き篭もりのようなアルファブロガーを黙らせることは出来なかった。
「しかし、このナスターシャの文章、なかなか理屈は通ってるじゃないか」
「このキチガイみたいな長文に共感されているのでしょうか。何度も何度も知能が低いと書かれて、それを見るのが楽しいですか」
「おまえは知能が低いわけではないだろう」
「わたしは呑み込みの速さが超人的で、何でもすぐにマスター出来ますが、本当に難しい問題とか出されるとお手上げなのです」
「だったら真性引き篭もりの内容は事実なんだな」
「カチェリーナ様もわたしの知能が低いと思っていたわけですね。わたしよりカチェリーナ様の方が知力が高いのは確かで、それは前から認めてますし、カチェリーナ様の知性は尊敬してますが、なぜナスターシャのようなアスペルガーから糞味噌に言われないといけないのでしょう」
「アスペルガーというレッテル貼りで誤魔化すのか」
「ナスターシャは確定診断されています」
「相手がアスペルガーという理由で退けるのか。文章の内容の真偽こそが重要だ」
そんなことは言われなくてもわかっていた。
こうやって真性引き篭もりのキチガイのような長文で知能が低いと何百回も書かれると、このブログが原因で自殺に追い込まれた人達の心境がよくわかった。
欠点や弱点を徹底して暴露することで、人間のアイデンティティーを崩壊させるのである。
「わたしからひとが離れていくのが容易く想像できます。いくらわたしが並外れた社交性を持っているとは言え、現在の人脈があるのは、天才少女という設定があるからです」
真性引き篭もりは嘘を書くわけではないので、信用されていた。
他人の弱点を執拗に攻撃して自殺に追い込む手法は嫌悪されていたが、理屈の正しさは崇拝されているのだ。
こうやってグルーシェンカを、知能が低い、知能が低い、知能が低い、と徹底的に糾弾するのも、それなりに理屈は通っており、この記事を読んだ人間は真性引き篭もりの判断に従うのだ。
「この真性引き篭もりはかなり面白いよな。こうやって他人を攻撃すればいいというお手本を示してくれる」
「カチェリーナ様も賛同するわけですね」
「わたしは理屈を支持するだけだ。理屈ほど正しいものはこの世にない」
「ナスターシャやカチェリーナ様はEQが低いから、そう思うのです。EQが低くて人間性に欠けているから、理屈しか見えないのです」
「理屈が見えないのも問題だと思うが」
「この世界で大事なのはEQです。IQがいくら高くても意味がありません。ナスターシャやカチェリーナ様に友達がいないのも、EQが低いからです」
「理屈で勝っても人間性で負けているということか」
「ナスターシャの人生って、そういうことです。屁理屈で勝つたびに敗北していく」
「しかし真性引き篭もりというブログはネットでかなり人気があるらしい」
「屁理屈で他人を追い詰めるのは普通は忌み嫌われますが、ネットだと遠い世界の他人事として楽しまれるんでしょう」
「おまえはIQが低くてEQが高い立派な人間ということだな。知能が低くても、EQに長けていてよかったじゃないか」
四肢の力を失いグルーシェンカは床に倒れていたが、カチェリーナがそれを睥睨した。ウクライナ最高の美少女と誰もが認める凛とした立ち姿で、失脚したグルーシェンカを睥睨しているのだった。カチェリーナの冷めた目線の裏には、まだ世界が認めていない天才的知性が眠っており、それはグルーシェンカを断罪していた。天才少女という虚偽の物語は断頭台に打ち捨てられ、あわれな素顔が刑場に晒されているのだ。
「もう誰もかれもわたしを見放すでしょう。こうやって人が去っていく瞬間は来るだろうと思ってましたが、それが今日なのですね」
「虚偽のイメージを信じていた人間は去るだろう。わたしのような本当の友達だけが残るだろう」
カチェリーナはグルーシェンカに手を差し伸べた。
「わたしを見捨てないと言うのですか」
「ナスターシャから理屈で挑戦を受けたのだから、少しは理屈で返してみたらどうだ。EQが低いから友達がいないとか、弱点を突き返すのでは、苦し紛れでしかない」
「人間存在はドラマ性を持っているのです。いちいち理屈で説明したら、ドラマが成り立ちません。映画の途中で映画の登場人物が、これは映画だからと理屈を言い始めたら、ドラマとして破綻します」
「その視点は面白いと思うが、もっと続けてみろ」
「人間はドラマです。ドラマは想像力によって演じられます。人間と人間は想像で理解し合っています。だから説明を求めるのは嫌悪されます。それぞれが内面という秘密を持ち、墓場まで持っていくのです。想像では足りないと言って説明を求めるのは、人間というドラマの否定です。映画の監督にたいして、この場面の意味は何かと理屈で説明を求め、正解を引き出そうとするのは、筋違いなのです」
「世の中のことをいちいち説明してくれないのは、それなりに理由があるわけだな」
「説明をしないのが正当というわけではないです。わたしたちは根無し草であり、何の根拠もない存在なので、説明を求められると困るんです。根無し草同士がロールプレイしてるんですから、理屈が入ったらおしまいです。民衆が王様に、なんでおまえが王様なのと問い詰めたら、究極的には答えられないでしょう。説明しないのは、権力者の都合でもあります。王権神授説とか一方的に唱えて、反論を許さないわけです。反論されたら、答えられないからです」
「理屈の方が正義ということもあるわけだな」
「理屈は正義です。真性引き篭もりが持て囃されているのも、理屈が正義であるからです。自分がターゲットになったらたまったものではありませんが、だからこそネットで遠くから楽しむんです。理屈は革命みたいなものですよ。王様に対して、なんでおまえが王なのかと問い詰めるのが革命です。そうやって理屈で糾弾し革命を起こすことが必要な場合もあるでしょう。でも普段はみんな嫌がります」
「なかなか興味深いが、他にも事例を挙げてくれ」
「たとえば儒教の影響を受けている文化圏では、年上を敬うという風習があります。日本なんかは儒教の影響下にありますから、運動部では先輩の命令は絶対です。後輩は先輩に口答えしてはいけないし、なんで先輩が偉いのか質問してはいけないのです。説明を求めるというのは反抗であり革命なのです」
「理不尽な上下関係があっても、理屈で説明を求めてはいけないのだな」
「上下関係に根拠なんてないんで、説明を求めたらいけません。理屈で問いただすと、この世の中なんて何の根拠もないんです。だから説明を求めるのはタブーなんです」
「革命家が弾圧されるのは、あいつら空気を読まずに理由を聞くからなんだろうな」
「理由や説明無しに想像力で理解するのが世界のゲームの本質です。理屈を言うのは政府転覆の行為なのです」

そうやって話していると、ナスターシャが自殺を試みたという知らせが届いた。
グルーシェンカはナスターシャの死亡を願い、カチェリーナと共に駆けつけたが、案の定死んでいなかった。
150センチに満たない小さな身体を横たえ、左手首から血を流し気を失っているだけで、命に別状はないと思われた。
「残念ながら生きているようですね」
「グルーシェンカに殴られるのを恐れたんだろうな。こいつ自殺未遂するくらいなら、グルーシェンカのこと叩かなければよかったのに」
「こういうタイプの人間は、正義に火が付いたら止まらないんです」
「真性引き篭もりはこれからも続くのだろうか」
「こうやって時々鬱になるようですが、ほとぼりが冷めると激昂して更新を再開するようです」







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