2013.12.23

資本と時間

資本とは何かというと、この世界のすべてのものには所有権が設定されているということである。つまり、そこらへんの土地を勝手に使うとか、そこらへんから原材料を勝手に集めて使うことは出来ない。
この世界のすべては誰かのものなのである。公共物も国家のものであり、普通の利用は出来るが、私的に占有するなど出来ない。地球に対してお金を払ってるのではないので、究極的には土地も資源も無料ではあるのだが、必ず他人の所有権が付き、値段が付けられる。
つまり土地にせよ原材料にせよ生産設備にせよ、タダではないので、資本というのが重要になってくるのだ。何かを生産しようとなれば、その土台となる資本が必要になってくるのである。

私有財産の約束事は極めて重要であり、物理的強制力(警察力)を背景に成り立っている。所有権なんて勝手な約束事で何の根拠もないと主張し、他人の所有物を勝手に使ったりすれば、警察のご厄介になる。国家や警察そのものを認めないと主張して警察と戦争をしてもいいが、それは革命であり、普通なら銃殺されて終わりだ。

私有財産を否定する論理として、自分たちが奴隷で相手は貴族というイメージで革命を起こそうというパターンがある。共産主義などがそうである。自分たちを奴隷と見なすのはミスディレクションであり、所有権の本質問題から目を逸らしているのである。自分を奴隷だと仮定して、(つまり何ら所有してないと仮定して)、私有財産制度を否定するのは、明らかにおかしい。私有財産を否定するのなら自己の財産の放棄という苦渋の決断があるはずだが、「僕は奴隷なので財産がない」という幻想で誤魔化しているのである。

ロールズは「無知のベール」という概念で正義を語るべきだと唱えた。自分の立場が不明であると仮定して正義を考えようというものだ。特定の立場の代弁者として、その立場のみに有利な正義を考えるべきではなく、自分がどのような立場であるとしても正義であるようなルールを考えようというのだ。
もちろんロールズの考えを非現実的だと批判することは容易い。われわれはこの世界で明らかに「立場」を持っている。自分の立場が不明だと仮定して考えようという呼びかけは、人間の実態に反している。とはいえ、立場を問わずに正義であるようなルールを考えようというのは、非現実的であれ、思想としては真っ当である。

さて、それでは個々の所有権が固まって身動き取れないのかというと、そうではない。貨幣で交換して回転させるのである。この貨幣の交換は時間的なものである。時間の針が動くのに従って交換は進む。(決して時計の針を止めた状態で交換するのではない)。
労働時間が金になるように経済は設計されており、そこから年収が決定される。年収とはまさに一年間の収入のことであり、そういう時間の単位が大事なのである。医者でもワープアでも、一年間の相応の金額を稼ぐのである。ワープアだから医者の100倍働くとか、そういうことは出来ない。もしくは医者の年収が高いとは言っても、医者の時給の相場はあり、それなりの年収は決まっている。せっかく医者になったから他人の100倍働いて大富豪になろうというわけにもいかない。

生産は時間的なものである。農地なら、一年間にどれだけ収穫量があるかで価値が決まる。
消費する側にしても、時間あたりに必要なものを買うのである。一年間なら一年間に必要な食料を買うわけである。時計の針が進むに従って、その時間あたりの家賃とか通信費とか電気代を支払う。
時間の経過に従い金を稼ぎ、時間の経過に従い金を使うのである。

時間のルールの絶対性の背景にあるのは、生命維持と寿命の問題である。仮に寿命が無限で、生命維持にコストが掛からないということなら話は違うのだが、肉体は食料を補給しないとすぐに餓死してしまう。肉体の寿命も有限なので、何もしなければ時計の針が進んで死ぬだけである。







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