世の中生きていくのが辛いと言っている男でも、天使のような美少女が降ってきたらパラダイスになるに違いない。もちろんそういうことはない。セックスはとても排他的なものだからだ。「誰とでも寝る女」という言い方があるが、これはイケメンなら誰でも股を開くだけであり、本当に誰とでも寝るわけではない。

学生運動たけなわの頃、まさにこの問題が核心だと考えた人達がいたわけである。「誰とでも寝る女」を本当に実行した女が少なからずいたのだ。田原総一朗がAV男優だったという変な噂があったが、御本人がNHKの番組で語ったところによれば、学生運動最盛期に活動家の取材をした際、「人類はひとつだから、わたしは誰とでも寝る」という女子学生がいたので、「だったら俺とでも本当に寝るか」と田原が言ったところOKだと言われたので、それを実証するために、テレビカメラの前で本当にセックスしたそうである。もちろんそんなのを放送出来るわけもないので、フィルムはお蔵入りになった。そのエピソードが変な風に伝わって、AV男優云々となったそうである。

共産主義にかぶれた人間が「誰とでも寝る」というコミュニティーを作ろうとしたエピソードはあれこれあった。だが、うまくいった試しがないようである。文字通りに「誰とでも寝る」というのは、人間を破壊してしまうようである。

われわれ人類の問題としてあるのは、ブスと美人では性的価値がまったく違うことである。われわれは味覚音痴であることが多く、うまい飯とまずい飯の区別が付かない人が多い。だから虚偽表示もはびこる。今だと食品添加物が発達しているので、ジャンクフードでもそれっぽい旨味を出せる。われわれの味覚のハードルは低いので、ジャンクフードでもさして文句がないのだ。しかし美人とブスの違いは絶対的だ。ブスでは性的満足が得られない。はっきり言えばブスとやってもダメージなので、やらない方がマシなのだ。味覚に関してはジャンクフードで満足できるのに、性だけは美を求めるのである。

仮に人間が美に関して「味覚音痴」であり、美人とブスの見分けがあまり付かず、ブスでも大満足というのなら、人間の苦悩はかなり少なかったと思われる。ブス(ジャンクフード)で大満足となると、ずいぶん大味な世の中であり、決して芸術は生まれないだろう。セックスの相手を選り好みすることが苦悩の根源なのだが、ここが思い通りにならないことで文化が成り立っているという側面もあり、そう考えると、人間的苦悩は決して解決されないのである。誰でもジャンクフードで満足できるのなら、共産主義もあり得るが、選り好みこそが人間なのだ。







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