2013.12.29
宮台真司と肉体コンプレックス
宮台真司は男性には珍しく言語流暢性がかなり高い。まったくよどみなく喋ることが出来るのだ。宮台はよく「上祐にそっくり」と揶揄されるが、男性に珍しい言語流暢性の持ち主として共通点があるからだろう。男性で天才型というと、たとえばビートたけしのように、一度頭の中で溜めてから言葉にする人が多い。考えてから言葉にするまでワンクッションある。たけしが頭の中で閃いてから、それが言葉に変換されるまで、われわれ視聴者は待つわけである。吃音は男性に多い障害だが、ビートたけしは吃音になりやすいタイプだと言える。三島由紀夫は「金閣寺」において吃音という障害をとても効果的に扱った。金閣寺の実在の放火犯が吃音なので、小説金閣寺の主人公が吃音だというのは三島の創作ではないが、吃音という障害を、内面世界と外面世界のズレの問題として描き、世界文学の最高傑作を生み出したのである。内面世界でもがいているうちに、外面世界に辿り着けなくなってしまうというテーマ性に結びつけたのだ。三島由紀夫は「金閣寺」の最終行で主人公に「生きよう」と(故意に)そらぞらしく宣言させ、ボディビルでの肉体改造を始めた。これが30歳の時である。30歳まで三島は(戦時に徴兵検査で落とされたままの)ミイラのような肉体で生きていたのだが、ボディビルで肉体改造を行い兵隊ごっこを始め、45歳で自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、クーデター未遂で割腹自殺を遂げるのである。同時代の文人であった石原慎太郎は三島のボディビルを「死んだ筋肉」と揶揄していたが、三島は全共闘での学生に対する講演でこれに言及し「あいつはわたしにコンプレックスがあるんでしょう」と述べて聴衆を笑わせている。その死んだ筋肉で三島由紀夫は15年間たくさんの作品を書いたが、かなり駄作が多かったと言える。三島由紀夫の評価の大半は30歳で書いた金閣寺までとなる。宮台真司は空手自慢を頻繁に行うが、彼の背丈は165センチないくらいであり、小学生の頃は運動がまったく出来なかったと告白したことがある。知力に長けていても、肉体は極めて劣悪だったのである。三島由紀夫は金閣寺を書いてからミイラのような肉体を改造したが、宮台真司は最初から空手で肉体コンプレックスの解消を目指した。知性に性的魅力がないという葛藤の問題を、後付けの死んだ筋肉で未成年の少女を抱くことで解消したのである。宮台真司がこれをやっていた頃は法律も整備されておらず、現在の厳しい法律は遡及しないから、彼は決して凶悪犯と扱われることはない。ギリギリで逃げ切った格好であり、このあたりは保身に長けていた。宇野常寛は「ゼロ年代の想像力」の帯で宮台に絶賛してもらう見返りに、宮台の転向を知識人の課題として美化して書いたが、実際は法的リスクが高まったから逃げただけのことである。宮台は男性には珍しい言語流暢性があるため、知性に対する評価は難しい。思考を言語化するまでにワンクッション置かないというのは、卓越した話術の持ち主として評価することが出来るものの、その自慢の知力の浅さという側面もあり、少女の性という短絡的なところに結びついたのは、内面世界にリビドーを備蓄するタイプではないから、と評することが出来る。性欲を溜めに溜めて昇華することが出来ず、直截的に満たすことによって解決を図った人間であり、当然ながら、性的優越感・性的劣等感で人を判断するのだが、こういう発想は通俗的には力があるので、それなりに信者もいたわけである。三島由紀夫の「金閣寺」の主人公は有為子というヒロインに思い焦がれているが、その思いを走らせ、夜道で有為子に会うものの、吃音で何も話せなかった。彼は内面世界を走って有為子の前に辿り着いただけであり、いざ本人を前にすると、吃音というズレのために外面世界には到達出来なかったのである。そして気持ち悪い人物として告げ口され叱責を受ける羽目になる。金閣寺の冒頭は戦時下の日本が舞台だが、有為子は海軍病院の特志看護婦として働いており、そこで兵士と親しくなり妊娠する。兵士は脱走し、有為子は弁当を届けていたが、これを憲兵が嗅ぎ付けることになる。追い詰められた脱走兵は有為子の背中を撃ち、自分も自決する。こうやってヒロインが死ぬのが第一章であり、第二章以降は、金閣という美の象徴を巡る葛藤の話が描かれる。最終章で主人公は金閣寺に放火し、最上階の究竟頂で死のうとする。究竟頂は内部に金箔が張り詰められ美に溢れた空間と(小説内では)規定されているが、煙が立ちこめる中、この部屋の扉をどれだけ叩いても開かない。究竟頂から拒まれていることを確信した主人公は、この部屋で死ぬことを断念し、炎上した金閣を背にして逃亡するのである。宮台真司は男性としては希有な言語流暢性があったから、劣悪な肉体に死んだ筋肉を付けて少女の前に走っても、金閣寺の主人公のような吃音には阻まれなかった。劣悪な肉体により、リアルタイムの青春から阻まれていた宮台も、我が世の春を体験できたらしく、割腹自殺を決行するなどの異常性はまったく見られず、ごく普通の勝ち組に落ち着いたようである。肉体が劣悪だから内気な青春時代を過ごしただけで、本質的には社交的な人物なのだろう。石原慎太郎の「太陽の季節」は拳闘をやっている長身の美青年が主人公である。「太陽の季節」は弟の石原裕次郎やその放蕩仲間のエピソードをネタにして書いているから、石原慎太郎本人の話というわけでもないが、石原慎太郎も肉体には恵まれており、ああいう太陽族の世界観を共有していたと言える。石原慎太郎の拳闘と宮台真司の空手の違いについては説明の必要がないと思うので筆を省くが、宮台が石原の悪口を書いているのは目にしたことがある。三島由紀夫のような不世出の大天才でも、貧相な肉体から因する青春の欠如に悩んでおり、それを古臭い文学で美化した太宰治を憎悪していた。太宰治の実家は青森県で指折りの大富豪であり、身長173~175センチくらいだから、当時としてはかなりの長身であり、顔もそれなりの美青年だ。太宰が「斜陽」を発表したあたりということなので、1947年のエピソードだと思われるが、三島由紀夫は文学仲間に誘われて太宰に会いに行き、「僕は太宰さんが嫌いなんです」と言ったことがある。この頃の三島は22歳くらいであり、文壇にデビューはしていたが、まったくの無名であり、太宰は三島を知らないはずである。「そんなこと言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と太宰が答えてそれきりだったそうだ。長身イケメンで大富豪の息子である太宰がご丁寧に東大文学部を中退し退廃的な文学者を気取っているのが、ガチの肉体的弱者である三島には耐えられなかったのだろう。三島は東大法学部から高等文官試験に合格し大蔵官僚になったが、早々と退職し「仮面の告白」や「金閣寺」などの傑作を残し、世界的な評価では完全に太宰を追い抜いた。しかし太宰への憎しみは生涯消えなかったようである。
スポンサードリンク