ナスターシャは目が醒めると半身を起こしながら周囲を見回した。自分の部屋でソファーに寝かされていたようだ。宮殿の壁を壊して五つの部屋を繋げた広大なスペースである。彼女の趣味である機械類が無機質に並んでいる。色が付いたものがあまり好きではなく、黒の筐体だけを選んで購入し、黒くないものは黒く塗らせていた。明るい照明も好きではないから、ところどころに青白い光が灯っているだけだ。死体が寝転がるに相応しい暗渠のような空間だったが、彼女は生きていた。リストカットした左手首には包帯が巻かれており、疼痛はあるが、左指を動してみて、神経は切れてないと判断した。
今回の自殺未遂は、ナスターシャが10年に渡り運営している真性引き篭もりという暴力装置を使い、親戚のグルーシェンカを追い落とした後で鬱に襲われたものだが、これはよくあることだった。激昂し長文のエントリーを書くことの高揚感がすごいので、冷めた時の脱力感も圧倒的だった。
グルーシェンカはかつて虐待されているナスターシャを連れて、あちこちの高名な医師に診せて回ったのだが、ナスターシャのアスペルガー症候群が重症過ぎて、まったく改善が見られなかった。グルーシェンカは手に負えないということで、ナスターシャを投げ出した。だからナスターシャはグルーシェンカを恨んでいた。
グルーシェンカは呑み込みの速さが超人的であり、書物を一度読んだだけで暗誦できるという特技を持っている。それはそれですごいことであり、そのすごさは認めておいたが、能力の天井は決して高くないという事実を指摘したのだ。呑み込みの速さの超人性は認めておいたから、反論の余地がないわけである。真性引き篭もりは相手に決して逃げ道を与えないのでずいぶん恨まれており、自殺した人間が何人もいるのだが、ナスターシャはアスペルガー症候群の確定診断を受けており、他人の死には鈍感であった。さすがに訃報に接すると一時的に落ち込み自殺未遂するが、他の不正義を見つければ、また激昂して意気揚々とエントリーを出すのである。

やがて城主であるカチェリーナがナスターシャの部屋に入ってきた。ウクライナ最高の美少女と言われているが、おそらくウクライナという限定はいらなかった。15歳という年齢だけでは説明出来ないほどの透き通る白い肌を持っている。よくよく見ると背丈はあまり高くなく160センチあるかどうかなのだが、手足が長く、等身のバランスがとても綺麗なので、長身と錯覚させる。自閉が入っており、場違いな世界に紛れ込んだという雰囲気が感じられるが、容姿の美しさや知性の高さゆえに、その凛々しい立ち姿にはカリスマ的なオーラがあった。
このカチェリーナの厚意で、ナスターシャは城の部屋を与えられ贅沢な暮らしをしていたが、決して感謝する気はなかった。カチェリーナの巨額の資産は、親があくどいことをやって築いただけであり、まったく尊敬に値しないからだ。
普段のナスターシャは148センチの矮躯と平凡な外見を恥じていたが、カチェリーナの美は突出しすぎていて、優劣を付ける意味がないと思われたから、引け目は感じていなかった。
カチェリーナはナスターシャを責める様子もなく黙って立っていたが、ナスターシャは沈黙に耐えきれず叫んだ。
「さあ、早く僕を追い出せばいいだろうが。実家に帰れば虐待されるだろうが、アスペルガーは虐待に慣れてんだよ。そろそろ僕は虐待されたいと思っていたところだ」
「いや、別にこの城にいるのは構わない」
「どうせ真性引き篭もりの閉鎖を要求するんだろうが、あれば僕の存在証明だ。絶対に僕は譲るわけにはいかない。実家の地下室で泥水を飲まされても10年間続けてきた」
「真性引き篭もりのエントリー自体は、とても理屈が通っており、嘘はないと思う。理屈に長けていることは、なかなか感心した。問題なのは、これを10年間続けていて何が得られたかということだ。決して偉大な思想を築き上げたとは言えないだろう」
「おまえハイデガーがどれだけ読まれてるか考えてみろ。誰も読んでねーよ。ハイデガーより僕の真性引き篭もりの方が読まれてるんだよ」
「世の中は腐敗しているので、あちこちに不正義や矛盾がある。そこに依存して、その糾弾で生涯を終えるのを活動家という。たとえば日本の学生運動が盛り上がったのは、東京大学医学部のインターン制度を巡って、東大医学部の学生が抗議運動を行ったからだ。このインターン制度はすごい理不尽なので学生の側に正義があった。馬鹿が騒擾を起こしているだけなのに、知識層による革命に思われた」
「正義ならいいじゃねーか。この僕に文句付けてんじゃねーぞ」
「学生運動崩れで、中年や老人になっても運動してる人間がいる。彼らの発言は一面において正しい。世の中には不正義があるので、そこに食い付いて抗議活動していれば正義は確保される。だが活動家が社会について語ると、とても貧しい考えしかないのがわかる。不正義の糾弾に依存しているだけで人生を送ってきたから、すごい頭が悪いんだ」
「不正義を追及して何が悪い」
「追及するのはいいが、不正義に依存して自らの正義を主張してるので、思想の全体性がない。真性引き篭もりも同じなんだ。他人の弱点や欠点や矛盾だけに注目し、部分だけは正義だが、全体が見えていない」
「僕に言いたいことはそれだけかよ、おい」
「真性引き篭もりはどんなに理屈が通っていても、不正義だけ攻撃している点で、すごい視野が狭いんだ。カール・マルクスと変わらない。マルクスは資本主義の問題点を長々と書き、その不正義を糾弾した。その不正義の糾弾で、あたかも共産主義が大正義であるかのような、ミスリードを行った。資本主義が不正義だとしても、マルクス主義が大正義にはならないはずなのに、馬鹿を騙すテクニックとして有効だったんだ」
「僕は揚げ足取りに専念しているだけで、代案なんか提示してないぞ。真性引き篭もりは読者をどこにも誘導していない。共産主義にも新興宗教にも勧誘してない。ミスリードと言われてたまるか」
「それはそうだな」
「僕はこれから何十年も揚げ足を取り続けていく。何が悪いんだよ」
「局地戦に限定し、そこだけ勝利して、満足するわけだ。視野の狭さに甘んじている」
「ああ。満足だよ」
「ハイデガーより読まれているのが自慢らしいが、ハイデガーより劣っているのは構わないのか」
「僕はそれでいいんだから難癖付けるな。ゴミ野郎」
カチェリーナは反論できないようで、黙って去っていった。
ナスターシャの理屈が勝利したのだ。
今回は、揚げ足取りが楽しいという主張をすることで、理屈に勝ったのである。本当に楽しいのかと言うと何とも言えないが、その理屈が勝利に近いと考えたので、その論法を用いたのだ。ナスターシャの本領を発揮し、カチェリーナを完全に封殺したのである。







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