冷淡な人間はあまり人から好かれないが、彼らはあくまで優越者なのだ。
多動性が障害と見なされる世の中になったわけだが、多動性障害の真逆が冷淡さなのである。
多動性が低すぎて、目が据わってる領域まで行ってしまうと冷淡なキャラクターになる。
これは決して障害ではない。
健常者過ぎて、妙な優越感が生じているのだ。

成田童夢は年下の国母和宏にいじめられていた。
これは多動性の格差によるものである。
成田童夢はADHDタイプの人間であり、愛想はいいのだが、すごい馬鹿である。
多動性がかなり低い国母から見れば、桁外れの馬鹿に思えただろう。
年下が年上をいじめるという出来事も当然のごとく発生したのだ。

多動性とは中枢神経の問題であり、心の体幹の問題である。
心の体幹が弱いと、多動になり、落ち着きがなくなる。
成田童夢のようなふわふわしたタイプは、心の体幹が脆弱であり、他人を不愉快にさせるのである。
悪人とはまた違うのだが、意識がしっかり据わっていないので、ひとをイライラさせるのだ。
こういうタイプの人間は意識があちこち彷徨ってるし、仮に無理して椅子に座っていても、宙を歩き回っているようなオーラがある。

「嫌われる」のと「馬鹿にされる」のを区別してみよう。
国母は嫌われるタイプだが、馬鹿にはされない。
成田童夢は、嫌われているというより、馬鹿にされているのだ。
意識の据わりの悪さがからかわれるのである。

国母和宏と成田童夢を比較すると、冷淡さはソーシャルスキルなのだと思う。
多動性が低く、落ち着きがありすぎて、他人を見下しているタイプの人間というのは結構いるわけだ。
彼らは基本的に馬鹿にされていない。
嫌われていることは多いが、あくまで優越者のポジションなのだ。
彼らは意識の据わりのよさを最大限活かしている。
心の体幹がしっかりしている優越性で、他人を見下す目線を持っている。

多動性がない人(心の体幹がしっかりしている人)がみんな冷淡というわけではない。
むしろ温厚でちゃんとした人が多い。
冷淡なタイプの人間は、その(多動性の無さという)優越性を軸に他人を見下す性向を身につけた人間なのだ。
これはこれでひとつのスキルなのだろうと思う。
少なくとも成田童夢のように意識の据わりが悪い障害者よりは、国母和宏のように目が据わっている方がマシだ。

他者と敵対する場合、落ち着き払って冷淡に見下すというのが、重要なスキルなのだ。
われわれは、嫌いな相手とは、多動性の格差で勝負しているのである。
どっちが多動性が低いか、で戦っている。
多動性が強い方が馬鹿というルールで神経戦をやっているのだ。







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