戦後の日本はマッカーサーが作った。アメリカ民主主義で日本は作られている。あの当時のマッカーサーは日本国民にとって英雄的な存在だった。パイプをくゆらせながら厚木基地に降り立ったサングラスの男に、焦土となった日本の命運を託すことにしたのである。新しい憲法を作ろうとなった時、マッカーサーは日本人に草案を書かせたのだが、天皇主権から国民主権に変更する憲法草案を日本人が書けるはずがなかった。明治憲法とたいして変わらない案を出してくるので、今日の日本国憲法の根幹部分をマッカーサーノートとして提示したのである。たぶん日本人主導で天皇主権から国民主権への変更をやっていたら、右翼に刺されていただろう。右翼は「非国民」にテロを行う組織だから、アメリカ人のマッカーサーは対象にならないのである。あれだけ戦前の日本を徹底的に改革したのに、マッカーサーへのテロはなかった。マッカーサーが天皇主権を否定し、国民主権としたのは、極東委員会(戦勝国11カ国の代表)による東京裁判を乗り切るためであった。マッカーサーは天皇制の存続を望んでおり、極東委員会が日本にやってくる前に、天皇主権から国民主権に変更してしまったのだ。天皇が主権者のままだと、戦犯として処刑される可能性があったからである。マッカーサーが日本に浸透させようとしたことはたいてい達成されたのだが、唯一駄目だったのが、キリスト教の布教である。GHQ(連合国軍最高司令官総司令)は占領下の日本に3000人くらいの宣教師を呼び、1000万部以上の聖書を配布した。だが、これはまったく浸透しなかった。マッカーサーは毎晩必ず聖書を読むという敬虔なキリスト教徒であり、国際基督教大学の設立にも関わり、名誉理事長となったのだが、国際基督教大学はあまり大きな人気を得ることはなかった。なぜ日本人はキリスト教に無関心なのかというと、おそらく天皇がローマ法王と似た立ち位置だからと思われる。ローマ法王は首相でも大統領でもないが、明らかな教会権力を持っていたわけである。世俗の王様が支配しながらもローマ法王が力を持っているというのがキリスト教の文化圏である。天皇制があるからには、キリスト教を信仰するのも難しい。キリスト教の信者も、個々人が単独で好き勝手に信仰しているのではなく、教会権力が背景にあっての宗教である。キリスト教は民俗宗教ではなく世界宗教だと評されるが、実際はローマ法王の支配の及ぶ範囲の問題である。日本でキリスト教徒が切支丹として弾圧されていたのは江戸時代である。江戸時代は天皇がいるのかいないのかわからないという部分もあり、天皇崇拝よりは、キリスト教の方がしっくりくる人達もいたのだろう。江戸時代は天皇が脆弱だったので、キリスト教の入り込む余地があった。明治以降だと天皇の「教会権力」が強大になったので、この力に惹き付けられるのが当然である。やはり信仰とは力ある存在に依存したいということなのだ。明治以降の日本人にとって、依存対象は天皇であり、キリスト教に依存するのはなかなか難しかった。また宗教の根幹を成すのは創世神話である。創世神話に自らのルーツを見いだすのだ。明治から昭和初期までの日本人がどれだけ神武天皇を信じていたかというと疑問があるが、やはり信仰が「力への依存」であることを考えると、皇国史観に説得力があったのだろう。少なくとも聖書の創世記よりは、皇国史観の方が、日本人のルーツとしてしっくりくる。日本は単一民族というイデオロギーで成り立っている。アイヌという先住民もいるし、そもそも有史以前には朝鮮からの渡来人もずいぶんいたはずであり、本当に単一民族なのかは疑わしいが、万世一系の皇国史観のためには、単一民族イデオロギーが好ましかったし、そしてこのイデオロギーの支配下にいるからには非国民になるのを何よりも恐れるのである。右翼のテロの対象がたいてい日本人なのも、皇国史観の影響である。







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