カチェリーナはこれまで真性引き篭もりという人殺しブログを黙認してきた。アスペルガー症候群を理由に親から虐待されているから気の毒だし、やむなく城に置いて自由にさせていた。それに自閉性のあるカチェリーナとしては、屁理屈だらけの真性引き篭もりに好感を持っていた分もあった。理屈で勝つと対人関係で負けてしまうという理不尽さはカチェリーナも感じていたからだ。
だが最近のナスターシャは真性引き篭もりで唯物論を展開するようになった。カチェリーナとしても、さすがにこれは文句を言わざるを得なかった。カチェリーナはカトリック教会に巨額の寄付を行っている。本気で聖書を信じているわけではなく、むしろ信じてない方だが、天国があったらいいと願っている。
カチェリーナは城に戻って、ナスターシャの部屋に踏み込んだ。五つの部屋の壁を壊して繋いであるから、かなり広いスペースである。黒系統の色で統一された無機質な空間であり、ナスターシャの趣味である機械類が山積みにされている。社会の中で無用とされたものが流れ込んだ毒々しい暗渠という風情である。その中央でナスターシャは座禅を組んでいた。元々骨と皮のような少女だが、最近は白骨死体という印象を持たせる。スラヴ系としてはかなり小柄で、美しさのない少女である。
「おまえ、最近真性引き篭もりで唯物論を唱えているな。釈尊を越えたとか、弥勒菩薩だとか、意味不明のことを言っていたが」
カチェリーナが問い掛けても、ナスターシャは冷然としていた。どうやら悟りを開いたということらしい。城から出て行け、と言うべきかカチェリーナは悩んだ。賃貸借契約を結んでいるわけではなく、単に居候させているだけだから、ナスターシャが法的に居座ることは不可能であり、退去させるのは簡単だ。だが、カチェリーナは理屈を重んじている人間である。ナスターシャが理屈で勝っているのなら、それを認めるのがフェアであった。虐待されている家に強制送還するのは、汚いやり方に思えた。
「ええと、だな。わたしはおまえを追い出そうとは思っていない。理屈が正しい分には追い出さない。だが、唯物論は理屈で証明できない。聖書も天国も証明はできないが、証明不能である点において、唯物論とキリスト教は対等だと思える。証明できない唯物論を強硬に主張するなら、出ていって貰う」
ナスターシャは無言だったが、だんだん目が据わり、それから眉尻がつり上がってきた。鵺のような笑みを浮かべたが、それは怒りであるようだった。あのお得意であるらしい激昂が始まるのだ。ナスターシャは少し姿勢を直した。部屋は静まりかえっており、黒い袈裟の衣擦れの音が妙に響いた。ナスターシャは両方の掌を腹の前に掲げ、親指と人差し指を付けた。どうやら釈尊が悟りを開いた時の転法輪印のポーズのようである。
「唯物論は証明可能だ。無は無であるのは自明の理であって、僕が証明するまでもないんだよ。無は無である。僕は色即是空空即是色を越えたんだ。空ではなく、本物の無なんだ。時間も空間もなく、完全な虚無。死んだらそういう状態になるに決まっている。これによって、僕は釈尊を越えたのである。釈尊は涅槃を信じている段階で、思想の甘さがあった。釈尊は死後の心配ばかりしていた。死んでから地獄に堕ちたり、餓鬼となって飢え苦しむのを恐れていた。僕は恐れやしない。死んだら無なのだから、僕は完全消滅し、幸福や不幸を感じ取ることも出来ない。無が無であるのは当然なんだよ。明らかな無を見て、何かあるとか思う方が馬鹿だろ」
ナスターシャは普段は無口だが、喋り始めるとかなり長いらしく、一気にまくし立てたのである。
一昔前のカチェリーナなら、ここで言葉に詰まってしまうところだが、最近はグルーシェンカからソーシャルスキルのトレーニングを受けている。ごく普通に落ち着き払った。落ち着いてる方が優位であるのが対人の基本らしい。そして冷めた目線を意識しつつ反論を始めた。
「おまえの唯物論は19世紀のマルクスとフォイエルバッハの受け売りだろう。近代科学が花開いたことで、唯物論を考え出したんだ。だが、20世紀以降の量子力学では、三次元というのが疑われている。三次元空間は人間の認識の問題であり、実際の宇宙は四次元・五次元という余剰次元に展開されうるという発想が今の物理学のトレンドだ」
「四次元とか五次元とか証明出来るのかよ」
「22世紀には証明される」
「おいおい。僕は21世紀に生きてるんだぜ。おまえだけ22世紀かよ」
「三次元は近代科学と人間の限界なんだ。22世紀になれば19世紀の唯物論など消え去る」
「笑止千万だ。100年後に唯物論が否定されるとか、アホがあるか。おまえはノストラダムスかよ。ドブスは黙ってろ」
「単なる予言ではなく、もう物理学はそういう方向に進んでいる。おまえが信じているマルクスとフォイエルバッハは19世紀の近代科学のレベルなんだ」
「人間が四次元とか五次元になるのかよ」
「ならない。人間は三次元だ。つまり人間には認識不能の次元がある、と22世紀に証明される」
「話にならんわ。100年後に証明とか。僕は21世紀に生きてるんだぜ。だいたいこういう理屈は他者への説得力が問題だ。おまえみたいなドブスが四次元五次元言っても相手にされねーよ。さて、ここから追い込ませてもらう。よしんば四次元があろうとも、死後の魂の証明なんぞにならんわ。死んだら無になる。これは揺るがない。四次元に都合よく天国があって、そこで魂が永遠とか、お花畑もいいところだろうが。次元がいくつあろうが、死は死であり、無なんだよ。そしてこれこそが救済思想なんだ。釈尊は修行によって自らを救うことを目指したから、他者の救済は含まれない。この問題を修正し信者を増やすために大乗仏教が生まれ、通俗的な衆生救済を目指した。誰でも仏になれるという安易な発想だ。僕は激昂しながらこれを引き裂かなければならない。大乗仏教の安直さを否定するために、僕は涅槃を否定する。死後の安らぎなんていらねーよ。死んだら無になるんだから、それだけさ。この僕の思想により、本当の衆生救済が達成される。人生は無意味、死後は無。この思想の徹底で、不幸なんぞ意味が無くなる。不幸でもダメージないよ。どうせ死んだら全部おじゃんになるのだから、幸福とか無意味。ノーゲームと同じなんだよ。試合が成立してないから、どれだけ点差付けられても問題なし」
このナスターシャの意見には、カチェリーナも反論が難しかった。唯物論は近代科学の産物であり、22世紀になればパラダイムが変わると予想はされるが、それが魂の永遠性と関係があるという説得力のある見解は出せない。宇宙が多次元であるとしても、魂の永遠性がないなら、反論の論拠として意味がなかった。カチェリーナは言葉が見つからないので黙り込んだ。
「もう終わりかよ。絶望したなら自殺してもいいんだぜ。どうせ死んだら無だからな。人生がどんな中身だろうが、結局は無になるんで、詰んだら死ねばいいんだよ。チーン」
ナスターシャは目を眇めて爛爛と輝かせた。理屈で勝ったことに喜びを感じているらしい。
カチェリーナは背を向けて部屋を後にするしかなかったのである。







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