悪いことをすれば怒られる、というのが常識である。
この常識はあまり正しくない。
実は、馬鹿だから怒られるのである。
この馬鹿というのが「発達障害」と呼ばれるようになったので、わかりやすくなった。

A君がB君をからかうとする。
B君がそれに反応してムキになって怒るとする。
それを見た教師が怒るのはB君なのである。
なぜなら、B君の方が馬鹿に見えるからである。
からかったA君は利口に見えるから怒らない。
これが現実に一番近い。

こういうことに関して、理由を説明する教師はほとんどいない。
だから、B君としてはとても理不尽な思いをするわけである。
からかわれた自分の方が教師に叱られるというのは、意味不明に思えるわけだ。
教師の方も「馬鹿だと思ったから叱る」という自覚をしていることは少なく、本能的に叱っている。

発達障害というのは、生徒同士の問題とされるが、実際は教師も発達障害の生徒を「こいつ馬鹿だな」と思っている。
A君がB君をからかうのも、それがわかってる。
B君がムキになれば教師に叱られると予測した上でからかっているのだ。

B君がからかわれないようにするには、「落ち着いた性格」になるしかないのだが、なかなか難しい。
ある程度良心的な教師であれば、「君は落ち着きがないからすごい損してるよ」と言うかもしれないが、言われて治るわけではない。
ADHDであるなら、ちょっとつつかれるだけで、すぐに反応してしまうし、頭のネジのゆるさが露呈して叱られる羽目になる。

落ち着きがないというのは、頭のネジが抜けている状態なのである。
興味深いのは、これが知能に影響がないことだ。
もちろんADHDであれば、持続力がないので知能を継続的に発揮できないし、状況認識が弱いので、知力を実践で活かすことは難しいが、それでも知能そのものは下落しない。

学校というのは、頭のネジを締めるために存在している。
学校には予備校と違って体育や体罰があるわけだが、勉強(知能)の鍛錬よりは、頭のネジを締めることを主眼としているからである。
ネジがゆるくても知能には影響がないので、予備校では、発達障害っぽい生徒がいても叱らないが、精神教育をする立場の学校としては叱るわけだし、それに乗じていじめも行われる。

いろいろ考えてみると、学校というのは、昔から発達障害の矯正施設(収容施設)だったと言える。
勉強は二の次であり、精神面でネジが緩んでる人間を叩き直す場所なのである。
だから利口であれば、悪人でも叱られない。
善良なタイプでもネジが緩いと叱られることが多くなる。

昔は発達障害という概念がなかったが、「落ち着きがない」とか「注意力がない」というのはポピュラーな欠陥として知られていた。
昔は体罰で躾けていたのだが、最近は「躾で治らない」と強調されるようになった。

A君がB君をからかって、B君がムキになって怒ると、教師が叱るのはB君であるという典型事例を述べたが、これは躾の観点から言えば当然なのである。
躾とは悪事を叱ることではなく、挙動が不安定な子どもを叱ることだからだ。
落ち着きがないこどもに正座をさせて、貧乏揺すりをすれば竹刀で叩くというのが躾である。
予備校講師が数学を教えるのを躾とは言わないのだ。

ちなみに運動するのがADHDに有効だというのは、ジョン・J・レイティが「脳を鍛えるには運動しかない」という書物で書いている。
彼はハーバード大学准教授であり、発達障害の世界的権威とも言えるから、中身は確かである。
有酸素運動をすると、ドーパミンとノルアドレナリンが活性化され、これがADHDの改善に有効だとされる。
だからADHDを学校に収容して運動をやらせたりするのは、まったくの無意味ではない。
特に暴れ回るタイプのADHDにはふさわしい場所といえる。
ただ、被害者になりやすいタイプのADHDにとっては、人間関係のストレスでトラウマになる方が重大だと思われるので、問題が悪化しそうである。







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