この地球上に70億人の人間がいるらしく、日本だけでも1億3千万人がいるらしい。
われわれが人生の中でどれだけの人間に会うかというと、普通は数千人くらいだろう。
どんなに社交性が高くても10万人くらいが限度だ。
われわれは世の中の大半の人間に出会うことなく、死んでいくわけである。

数千人会った程度で70億人を理解できるのかといえば、問題なく理解できる。
だいたい人間は十種類くらいしかいないからだ。
われわれの狭い世間で、一通りの人間には出会っているのだ。
たとえば気性の激しい人間がいれば、温厚な人間もいる。
気性が激しいタイプ・温厚なタイプはそれで一括りに出来る。
70億の個性があるというよりは、10種類くらいのパターンに吸収されるという理解の方が適切だ。
どこまで細かく分解するかの話なので、具体的に10種類を列挙することはしないが、だいたいそれくらいだろう。
もちろん細かく分ければ分けられるし、暴走族が3000人いるとして、3000種類の個性があると言ってもいいのだが、たいていありがちなパターンをなぞっているのである。

人間は世界のごく一部しか知らない。
それでも世界を理解できる。
これは想像力があるからである。
この想像力とは、決して超能力ではない。
いろいろ想像を張り巡らして、妥当な解釈を探そうというものだ。
本当の真実かどうかは別として、妥当性があればいいのである。
この想像が可能であるのは、人間にたいした個性がないからである。
だいたい既知のパターンで理解できるからだ。
新しく誰かに出会うとしても、すでにどこかで似たような人物に会っている。
だから想像が付くのである。
どれだけ妥当性の高い想像をしても、究極の真実は別かもしれないが、そこまで考える必要はないのである。
他者のことは想像で理解するのがルールであり、「想像では他人はわからない」と主張して、他人の頭に器具を突き刺して調べてはいけない。

想像可能性の土台となるのは、人間の普遍性である。
自分を理解すれば他人も理解できる。
自分一人だけで、人間の普遍性は持っている。
温厚な人でも気性の激しさは理解できる。
不真面目でも真面目さは理解できる。
自分の中であまり強くない要素が、他人には強く出ているだけなのである。

結局のところ、人間は全員同じであり、それぞれの要素の強弱が違うだけである。
では他人が仲間であるかというと、そうではない。
自分のクローン人間が満腹になっても、こっちの腹は膨れない。
似たような人間と戦い、飯を奪い合うのである。
この地球上で、他者というのは、利害が対立するように配置されているが、それがゆえに他者であるとも言える。







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