天才は0から生まれるわけではない。脳に文化資本を投入され、それをアウトプットする機械である。文化資本を投入すれば自動的に作品や発明が出てくるわけではないが、天才は読書などによって、文化資本の投入を行いつつ、独創的な成果を目指しているのだ。原始人として、何もない状態から生み出そうとしているわけではない。

江戸時代の平賀源内(1728-1780)は天才ではあったが、山師で終わってしまったところも大きい。平賀源内は、ずいぶん行動力があった人物のようであり、江戸の文化の中で才能を開かせたが、それが科学技術として今日の礎になっているとは言い難い。同時代の杉田玄白や前野良沢が四苦八苦してオランダ語を学び、『ターヘル・アナトミア』を訳して「解体新書」として世に出した頃である。江戸時代の算術はレベルが高かったと言われるが、何しろアラビア数字を使ってないから、ガラパゴスの世界である。ニュートンが死んだのは1727年であり、平賀源内が生まれる前年なのだが、平賀源内が近代科学という文化資本を摂取する機会はなかった。平賀源内は晩年はおかしくなっていたようで、人を斬り殺して獄死した。生涯独身だったが、同性愛的傾向はあったようである。このあたりは天才らしいが、やはり海の向こうの近代科学をほとんど知らないので、江戸の異才に終わったと言える。
(ちなみに獄死の際に、幕府が遺体を引き渡さなかったため、実は死んでおらず、平賀源内と懇意であった田沼意次が密かに匿ったという説もある)。

三島由紀夫は日本文化を最大限に生かした作家である。原始人として独自の文字を発明しながら三島文学が生まれたのではない。日本文化という巨大な資本を三島くらいに投入された作家はいない、と言っても言い過ぎではない。三島文学の名作の多くの耽美的な作品は、普通のわれわれが体験している日本ではなく、欧米人がイメージするような格式張った「日本」である。三島は歌舞伎や能などの伝統芸能に造詣が深く、思想的には天皇崇拝なのでわかりやすい。三島由紀夫はストーリーテラーとしての才があるとは言い難く、三島が粗製濫造した世俗的な作品は今日では読むに値しない。あくまで圧倒的な文化資本を武器にした正統派の文学が真骨頂である。文化資本が乏しい環境であったなら、中途半端な美文家で終わっていた可能性もある。

三島由紀夫の腺病質な体質を決定づけたのは、祖母の夏子であった。この夏子は身分が高い家柄の出身であり、有栖川宮家に奉公したこともある。かなり気性が激しく、家柄に過度な自尊心を抱いており、ある種の狂人であった。三島の祖父である平岡定太郎(内務官僚)に嫁いだが、この祖父は疑獄事件に巻き込まれ退職することになり、その後は実業家として失敗したため、金銭的に苦労したらしい。この二人の間の息子(平岡梓)は農商務省の官僚となっている。そして、この平岡梓の息子が三島由紀夫(平岡公威)である。三島由紀夫も東大法学部から大蔵官僚になっているから、親子三代で東大法学部卒の官僚ということになる。前述したように祖父の平岡定太郎が内務官僚として失脚して、その後の事業で借財を負ったので、金持ちとは言えなかったが、借家住まいとはいえ、女中が六人もいたようで、それなりに裕福な部類だと思われる。

夏子は生後49日目の三島由紀夫を奪い取り独占を続け、三島の母が三島とスキンシップを取れないくらいの状態だったらしい。三島の父の平岡梓はもちろん反対していたのだが、夏子の狂人ぶりがすごくて、どうにもならなかったようだ。三島が祖母に怨恨を抱いている様子はなく、異常に溺愛されたことが三島にとってトラウマになった様子は窺えない。三島由紀夫は生まれつきの病弱に加えて、この夏子の超過保護で、青白い青年に育つ下地が出来た。近所の男子と遊ぶのを禁じて、女の子と遊ばせることにしていた。夏子は歌舞伎や能に造詣が深く、文学書も愛読していたから、それが後年の三島文学に反映されていると言える。三島由紀夫が中学に進学した時に、両親は祖父母の元を離れており、またこの二年後に夏子は死んでいるので、三島が祖母の溺愛の影響下にあったのは12歳あたりまでだ。

三島のこのような超過保護な状態を支えていたのが学習院である。この家庭環境で粗野な学校に通うのは無理があるが、学習院だから歪な育て方も可能であった。三島由紀夫の家は平民であり、本来なら戦前の学習院には入れないはずである。だが、祖母の夏子の家柄がよいという理由で、平民ながら華族だらけの学習院に入ることになった。小学校から学習院であり、三島の弟によれば、三島は自分の家に爵位がないことがコンプレックスだったようだが、病弱な文学少年には向いている学校であった。ここで三島由紀夫は文学上の知己と巡り会い、文学的教養を育む。大半が華族の学校だから、かなり教養主義が濃い校風だったと思える。そして戦争が勃発し、三島由紀夫も兵隊に取られそうになるのだが、徴兵検査で落ちたので、軍隊を経験しないことになる。祖母の超過保護、学習院、徴兵検査失格(第2乙種合格だったが肺病と偽り徴兵忌避)と、粗野な体験をする機会をことごとく回避してきた。育ちが悪い階層と接する機会がほとんどなかったのである。昭和19年に学習院を主席で卒業し、昭和天皇から直接銀時計を手渡されている。普通なら持ちネタとして何十万回も自慢しそうな話だが、なぜか三島はほとんどこの件に触れない。昭和天皇に会う半年くらい前に徴兵忌避しているわけだから、戦争末期の日本の状況下で、どういうつもりで銀時計を受け取ったのかは知らない。

三島由紀夫のような天才といえども、投入された文化資本の産物なのである。無教養な教育ママに尻を叩かれているのとは違い、官僚一家として圧倒的な文化資本を投入されているから、大蔵官僚になった。三島由紀夫の弟も、東大法学部から外務官僚である。文学において多大な文化資本を投入されているのは前述した通りである。これがあってこその三島文学である。

三島の子どもはあまり出来が良くないのだが、このあたりは天才の子どもの出来の悪さという法則だろう。親が優秀であるのはいいことだが、天才であるのはマイナスであるようだ。天才は平凡さというバランス機能を欠いてる障害者なので、たいてい子どもの出来はよくない。







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