安倍晋三が芦部信喜の名前さえ知らないということを指摘された時、「揚げ足取りだ」とネトウヨが騒いでいたのは、唖然とするべき出来事であった。
文学が好きな人がドストエフスキーの名前を知らないくらいの大問題なのに、ネトウヨは「俺だって芦部なんか知らない」と言い張ったのだ。

低知能・低偏差値とは何かというと、抽象概念を出されるとアレルギーを起こす人間のことである。
芦部の「憲法」あたりは、リトマス試験紙として丁度いいと言える。
芦部信喜の「憲法」はさほど難解な本ではない。
早慶の一般入試に合格できる程度の知力があれば、法学の知識が皆無でも数時間でスラスラ読める。

逆の言い方をすれば、知能とは、概念思考の問題でしかない。
知能が低くてもたいして問題ではないとも言える。
概念的な文章が読めなくても、普通に生きるには困らない。
日本なら首相だってなれる。

純文学と歴史小説を比べると、基本的に歴史小説家の方が低学歴である。
純文学と言ってもいろいろあるが、文豪と呼ばれるには抽象的なことを書かないといけないという部分もある。
純文学は教養主義の延長でもあったから、文化資本が低い階層は手を出しづらかったはずだ。

歴史小説は概念的に書くことを求められないので、低偏差値でも問題がない。
低偏差値・低知能というのは、概念思考が弱い人へのレッテルである。
知能が低いと、何をやっても無能というのではなく、あくまで抽象的な単語が理解できず、概念的に書かれた文書が読めないだけである。
抽象概念に弱くても、具体的な語彙への感性が人並み以上というのは普通にある。
人間に関心があり、具体的な文章を読みこなせれば、知力(概念思考)が弱くても、歴史小説を書くには問題がないのである。

安倍晋三が歴史にこだわるのも、低知能ならではだろう。
概念的な思考力が弱いから、抽象的な単語がたくさん出てくる本は読めないのである。
だから具体的なエピソードの固まりである歴史を好む。
そういう抽象思考の弱さが、逆に人間的信頼に繋がっている部分もある。
決して理屈は言わず、「わたしを信頼してください」というのは、そういう理由である。
低知能を褒める時に人間力という言葉がよく使われるが、安倍晋三の支持率の高さは、まさに人間力への支持なのである。







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