「真性引き篭もりはEUを支持するらしい。ウクライナを分断して第三次世界大戦を起こしたいみたいだ」
カチェリーナはグルーシェンカの家に戻ると、さきほどの顛末を話した。
グルーシェンカはソファーに座りながら無表情だった。
「ともかくブロガーとして対決することになったから、わたしも対抗して記事を書こうと思うんだ」
「あのLunatic Prophetというゴミブログを再開するんですか」
「とりあえず下書きだけ始めるよ。ウクライナが妥協してロシアと和解しないと大変なことになる」
カチェリーナは椅子に座り、自分のパソコンに向かった。真性引き篭もりは超巨大ブログである。それに対してLunatic Prophetは軍事知識がないのに軍事について書いて笑われたブログである。カチェリーナもLunatic Prophetは消したわけだが、ドメインが残っているので復活は可能だ。
「Lunatic Prophetだけはやめた方がいいです。あれはサイトとしての信用が地に堕ちています。ナスターシャが正体をバラすリスクもあります」
カチェリーナの父親は世界史的な極悪人であり、それにより巨額の富を築いた。いくらウクライナ最高の美少女と言われるカチェリーナでも、あの悪漢の娘ということで憎悪する人間は少なくない。グルーシェンカはそれを心配しているのだ。
「まあひとまず下書きしてから考える」
カチェリーナは文案を練った。ウクライナ西部はオーストリアやポーランドの支配を受けていた期間が長く、EUに入りたがるのはわかるが、ウクライナにはその資格がない。ウクライナは対外債務が政府と民間併せて660億ドルある。そのうち460億ドルが民間のものだ。ウクライナ中央銀行の外貨準備高は150億ドルしかなく、またウクライナの今年の経常収支は130億ドルの赤字であった。要はデフォルト間近なのだが、仮にデフォルトした場合、最もダメージを受けるのはロシアである。ロシアの銀行は280億ドルをウクライナの企業などに貸し付けており、それが焦げ付いたら大変なことになる。EUのウクライナ援助は口約束にしか過ぎないが、ロシアは援助を確実に実行するしかない。金は手にしてこそ意味がある。口約束では貰ったことにはならない。ウクライナの面積は、グルジアの8倍くらいある。ヨーロッパで最も大きな国はロシアであり、次がウクライナなのだ。ウクライナは国土だけは広いが、あちこちの国から分断されたり、属国となったり、たらい回しの歴史である。ウクライナの西側はオーストリアやポーランドの支配下で文化的影響を受けているので、欧米的な価値観を持っているが、この文化的断絶を乗り越えなくてはならない。いくら面積があっても国力としては小国である。ウクライナは農業に適した穀倉地帯として知られ、耕地面積はフランスの二倍ある。この肥沃な大地を活かせば、フランスを遥に凌駕する農業国になりうる潜在能力はある。

「真性引き篭もりがさっそく反ロシアのエントリーを出しましたよ」
グルーシェンカから声を掛けられて、カチェリーナもそれを見た。相変わらずのものすごい長文だったが、それは文学だった。人類が地上に産み落とされ、這い蹲り生き長らえ、そして死んでいく理不尽さが著されていた。どうせ死ぬのに、生命は繁殖を続け、苦しんで生きている理由がわからない。多くの衆生が向き合わされる理不尽さである。真性引き篭もりは、ロシアを悪役として、人間がいかに蹂躙されているかを語り尽くしていた。hankakueisuuというハンドルは、人生という矛盾への怒りのシンボルであり、その激昂する魂はとてつもなく黒い光を放っていた。時には滔々と説明し、要所では激昂し、普段は暗渠に流されている腐臭がする廃液をざっくりと表通りに出してきたのである。この憎しみが氾濫して大地を浸食する様子は悪魔的ながらも、カタルシスを感じさせた。
「これはすごい文章です。人生というものへの激しい憎悪。生きることの無意味さ。それをすべてロシアにぶつけています」
「ロシアがなくても、人生は苦しいだろ」
「スターリンによってウクライナ人が大量餓死させられた事件などは真実です」
「それは知ってる」
1932年にスターリンが行った計画的餓死はホロドモールと呼ばれる。スターリンがウクライナの小麦を徴発し、輸出で外貨を稼いだのだ。栄養失調になるとアルブミンという成分が作れなくなり、血液から水分が流れ出て腹腔に溜まる。ウクライナのこどもたちは骸骨のような姿で路地に横たわり、その半死半生の腹は大きく膨らんでいた。ウクライナ人が少なくとも四百万人は飢えて死んだのである。アスペルガー症候群の真性引き篭もりが、このジェノサイドに本当に怒っているかは判然としないが、これまでの半生への憎しみ、足首を縛める重い鎖の痛み、羽ばたくことが出来ない生命の理不尽さ、この泥濘のような苦界への怒りを、ホロドモールのエピソードを通してぶちまけたのである。

グルーシェンカとカチェリーナは、その檄文にしばらく言葉を失っていた。普段なら、荒唐無稽に思えるエントリーだが、ロシアという僭主を剔抉することで辛い人生から救済されるという物語が、閉塞感を抱えるひとびとの心に訴えるのは間違いなかった。肉を斬られ骨も砕け散り、血に塗れながら歴史を変えるという記述は、貧しい肉体を拘束具と感じるナスターシャの感覚であろうが、このウクライナにロシアの兵力が展開され戦場となることが現実味を帯びてきた現在では、その記述が官能的であるのも確かだった。
おもむろにグルーシェンカはカチェリーナのパソコンを覗き込み、書きかけの草稿をチェックした。
「これは駄目ですね。完全なボツです」
「何でだよ。EUが本気でウクライナを助けるわけがない。ロシアはウクライナを救済する利益がある」
カチェリーナはそう言ったが、グルーシェンカはタブレットでネットの反応を見ながら首を振った。
「これは完全に真性引き篭もりの勝ちだと言っていいです。ウクライナの反ロシア感情は一気に高まりました。ただでさえレベルが低いLunatic Prophetの記事を出すのは、自殺行為です」
「ではEUに付くというのか」
「カチェリーナ様は世界的にカトリックの慈善家として知られています。ロシア正教の東側を支持したら、その方がおかしいし、激しい批判を受けます。カトリックの西側に付いた方が無難です」
カチェリーナは自分が書いたLunatic Prophetの下書きを目で追った。薄っぺらいゴミブログだと散々言われていたが、やはり真性引き篭もりのような超巨大ブログと比べると、稚拙な落書きである。
「真性引き篭もりの反ロシア運動は問題があります。ウクライナはロシアとEUに挟まれているので、どちらか片方に付くのは愚策です。二択ではないんです。真性引き篭もりのエントリーに従って反ロシア運動が過熱したら、大変なことになります。国力が低いウクライナがユーラシア大陸の真ん中に、結構な広さを持って存在しているのだから、これはドイツ並みの国力がないと独立なんて出来ません」
「ではわたしの名前でその意見を世間に向かって発しよう。ドイツに並んでから独立しろと」
「カチェリーナ様はカトリックの慈善家として知られてますから、ウクライナ西部で呼び掛ける力はあるでしょう。でも、殺される可能性だってあります。何しろ、真性引き篭もりという巨大な敵までいるのですから、あの悪魔に世論誘導されたら終わりです」







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