宗教の根源は、自分の劣悪な肉体を呪わしく思うことである。肉体は感覚を生み出す装置であり、快楽と苦痛の発生源だが、たいていは苦痛の方が多いので、生きる悩みは深いのである。特に医学がない大昔の世の中では宗教に頼ったに違いない。業病を患い床に臥せる人間は肉体を呪うが、決して肉体が根絶やしになることを願っているのではなく、病に蝕まれた肉体が発する塗炭の苦しみから逃れたいだけである。本当は健康になりたいのである。多くの人間にとって、自分の肉体は理想的ではなく、その劣悪な肉体が原因で現実から掣肘を食らわされる。ハイスペックで健康な肉体を手にするという僥倖に見舞われなければ、身体に疼痛と苦悩が繁茂し、深く根を張り、生き生きとした世界から疎外されるのである。

グノーシス主義やカタリ派がキリスト教の異端とされるのは、肉体というものを物質的な悪の牢獄と考え、いずれ精神はその肉体から逃れ、非物質的な天国に行くべきという発想をしていたからである。キリストはゴルゴダの丘で十字架に掛けられて処刑され葬られたが、その三日後に復活した(ということになっている)。異端者が異端審問で火刑になるのも、死後の肉体が大切だと考えられていたからであり、だから異端の肉体は劫火に打ち捨てられたのだ。今日のカトリックで土葬が徹底されているわけではないが、カトリック信者の肉体は最後の審判で復活するために土葬が求められた。

肉体がなく精神だけの状態があり得るか、と考える場合、その精神が肉体を夢見るのかという問題が核心となる。人間は三十秒に一回はセックスのことを考えるという話もある。「三十秒に一回」はともかく、ある程度頻繁に考えることは確かである。肉体から逃れて精神体になったとしても、相変わらず女の裸体に眷恋しているのでは、肉体から逃れたことにならない。同性愛者なら同性の肉体ということになるが、何にせよ、対象は肉体である。富士山がいくら美しいからと言って、富士山のことを性的に考え、男根を怒張させている人間はいない。

アニメのヒロインに萌えるのも、二次元とはいいつつ、肉体の記号化である。肉体フェチであることに変わりはない。空閨をかこつことに耐えかねて、しかし欲望も断ち切れないから、脳内の夢想に浸る選択をしただけである。この世に絶望し、死んだように横たわり、脳内で天使を夢見るとするなら、いわば透明な存在となり(劣悪な肉体によって爪弾きにされることなく)美少女の素肌に触れたいというだけなのである。自分の肉体を消したいだけで、美少女の肉体には触れたいのだ。人類は一人残らず肉体が好きであり、それは解決不能の煩悩なのである。これを取り除いた精神活動は思いつかない。肉体から発せられる信号に唯々諾々として従うのが、われわれの精神なのである。目の前に御馳走があるとして、それを食べたがっているのは、精神なのか肉体なのか、もしくは、それを切り離せるかどうかの問題である。







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