「肉食の思想」(鯖田豊之)という本がある。
1966年に書かれた本であり、著者は2001年に故人となっているが、今日でもロングセラーとして読まれている比較文化論である。
著者の鯖田豊之は京大文学部を卒業し、島根大学助教授と京都府立医科大学教授をやっていた。
専門は西洋中世史である。

これはKindleではいつも割引されているようである。
紙の本だと735円だが、Kindleでは46パーセント引きであり、399円だ。
わりと中公文庫はいつも安くなってることが多いと思う。

日本とヨーロッパの食肉に対する姿勢を比較した本である。
日本では洋食化が進んでいるけれども、動物の原型をとどめたような肉食料理に接する機会は少ない。
しかし、欧米ではさほど珍しくない。

まず冒頭では竹山道雄(ビルマの竪琴で有名)のヨーロッパ旅行記が引用される。
………こういう家庭料理は、日本のレストランのフランス料理とは大分ちがう。
あるときは頚で切った雄鶏の頭がそのまま出た。
まるで首実検のようだった。
トサカがゼラチンで滋養があるのだそうである。
あるときは犢の面皮が出た。
青黒くすきとおった皮に、目があいて鼻がついていた。
これもゼラチン。
兎の丸煮はしきりに出たが、頭が崩れて細い尖った歯がむきだしていた。
いくつもの管がついて人工衛星のような形をした羊の心臓もおいしかったし、原子雲のような脳髄もわるくはなかった。
………  あるとき大勢の会食で、血だらけの豚の頭がでたが、さすがにフォークをすすめかねて、私はいった。
「どうもこういうものは残酷だなあ――」
一人のお嬢さんが答えた。
「あら、だって、牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださったのだわ」
幾人かの御婦人たちが、その豚の頭をナイフで切りフォークでつついていた。
彼女たちはこういう点での心的抑制はまったくもっていず、私が手もとを躊躇するのをきゃっきゃっと笑っていた。
「日本人はむかしから生物を憐みました。小鳥くらいなら、頭からかじることはあるけれども」
こういうと、今度は一せいに怖れといかりの叫びがあがった。
「まあ、小鳥を! あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷な国民でしょう!」
私は弁解の言葉に窮した。これは、比較宗教思想史の材料になるかもしれない。 (『ヨーロッパの旅』)


著者は思想的な要因をキリスト教的世界観に求める。
人間が中心であるという価値観が大原則なのである。
たとえば、地動説というのは、ヨーロッパではすごい問題となり、ブルーノは異端として火刑に処されたし、ガリレオは異端審問で学説を撤回させられた。
コペルニクスは生前に出版せず、死後に出版することで異端審問を回避した。
これが日本なら、天動説でも地動説でもどっちでもいいだろう、と著者は言う。

ヨーロッパは夏にあまり気温が高くなく、湿度が低い。
日本の高温多湿とは対極である。
これにより、草が育ちすぎないので、牧草に丁度いい具合になる。
特に手入れをしなくても、家畜が食べやすい牧草が育つのだ。
日本なら、高温多湿の夏のせいで、育ちすぎた雑草がネックになる。
気候の面から考えると、明らかにヨーロッパの方が家畜を育てるのに適しており、日本は稲作向きである。
稲作は手間暇掛けてやるものだから、狭い土地に丹誠込めることで収穫が上がる。
人口密度が高い日本に合っていた。
というか、稲作があったから日本はこんなに人口が多いのだろう。

それならば、ヨーロッパでも水稲を栽培してもよさそうなものであるが、ここでわたくしたちは気候条件につきあたる。
水稲の栽培には、生育期に三ヵ月以上摂氏二〇度を越す気温と、年間で一〇〇〇ミリを越す降雨量が必要であるが、ヨーロッパでこのような条件を満たすところはほんのわずかである。
水稲栽培が可能なのは、本来的には、役にたたない雑草を繁茂させる、暑熱と湿潤のはげしい所だけである。
(中略)
むし暑い夏のないことは、ある意味では、植物の生育に不適な条件である。
植物が十分に繁茂するには、一般的にいって、暑熱と湿潤が何よりも必要である。
どちらが欠けることも好ましくない。
ヨーロッパで日本のような雑草がみられないのは、実は、こうした暑熱と湿潤のむすびつく時期が、一年を通じて全然ないからである。


また筆者は欧米の動物愛護とは、動物を安楽死させることだと言う。
事実、ヨーロッパ人なら、飼犬などの面倒をみきれなくなると、あっさりと殺してしまう。しかし、日本人はちがう。殺すのは残酷だと考え、だれかが拾ってくれるのをあてにして、生かしたまま捨てる。その結果は野犬の増加である。ヨーロッパ人はこれがわからないという。かれらにとって、飼犬を野犬にするぐらい残酷なことはないのである。ちなみに、欧米諸国の動物愛護団体は、動物を安楽死さすための獣医をかかえているのがふつうである。

あくまでこの本の主張では、動物愛護精神の強い欧米の方が、動物の安楽死に寛容だという。
欧米の事情はよくわからないが、(著者の主張の通りなら)理屈は通っていると言える。
この本には書かれていないが、日本で寝たきり老人が多いのは動けない状態でも生きるという発想が強いのかもしれない。


また動物と人間を完全に切り分ける欧米的価値観は、階級意識を強めると著者は言う。

幕末に来日したヨーロッパ人やアメリカ人が、口をそろえて、日本の支配階級のつつましさを指摘しているのは、知らず知らずのうちに、こうした事情を感得したからであろう。ハリスも、日本の「大名の邸宅の家具」は、「アメリカの謹直で堅実な職工の家に見られるものの半分の値打もない」とまでいいきっている。その点、総人口比で日本の十分の一しかなかったフランスの旧支配階級には、日本のようなまぎらわしい存在はふくまれていない。
支配階級に格付けされる人員が少ないからこそ、人民の恨みが爆発するほどのぜいたくもできたのである。このことは、日光の東照宮とヴェルサイユ宮殿をくらべても、はっきりわかるのではなかろうか。


欧米の方が階級意識が強いのは明らかで、そこには誰も異論がないだろうが、人間と動物を完全に区別し、原型をとどめている肉料理に抵抗がない文化が、支配する者と支配される者の格差を生む、と著者は言いたいらしい。

マルクス/エンゲルスの『共産党宣言』の第一章の冒頭は「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という言葉で始まるが、著者はこれをヨーロッパ的な価値観への挑戦だという。
確かに、日本人からすると、あまりしっくり来ない。
日本の歴史は階級闘争の歴史だったか、というと何とも言えない。
日本で階級と言ったら、軍隊での上下関係とかだろう。
日本人でマルクス主義に夢中になった人は、何を相手に階級闘争するつもりだったのか不思議である。

この本は1966年の出版だから、今日の日本の格差社会までは見通していない。
最近の日本の格差社会は貴族主義の萌芽というよりは、単にグローバル経済の中で非正規雇用が増えただけだと思うが、これが将来的にヨーロッパ的な階級固定や階級意識に繋がるのかどうかは知らない。







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