2014.03.28
遺族というクレーマー
民事で金をふんだくるテクニックとして管理責任を問う時代である。
露天商が火事を出して三人が死亡した問題。
多くの人はこの事件を知っているが、この露天商の名前を聞かれても答えられる人間は少ないだろう。
渡辺良平という39歳の男だが、どうせ貧困層で金がないから、誰も注目してないのである。
渡辺良平には誰も興味持っていない。
あくまでイベント主催者の責任が追及されているのである。
福知山商工会議所は上限10億円の保険に加入しており、そこから支払われるらしいとの見込みがあるが、内部積立金の6000万円はすでに取り崩している模様だ。
管理責任を問う風潮から逃れられないという判断なのだろう。
イベントの主催者も大変であり、もし加藤智大が公道ではなく、どこかのイベント会場で暴れていたら、間違いなく被害者の会が結成され、「真相を知りたい」という遺族がメディアに連日登場しただろう。
要は「真相」とは「民事責任」を認めさせることなのである。
池田小の遺族はクレーマー扱いされるべきだろう。
学校に殺されたと言い張って、宅間守という戦後最大の犯罪者がどうでもよくなってしまった。
たいていの凶悪犯罪者は素寒貧で底辺層だから、訴訟を起こす利益がない。
宅間に裁判で勝っても何ら意味がないから、ああいう展開になったのである。
遺族と一緒になって「真相」を追及するマスゴミは、民事責任の問題を歪めているといえるし、遺族のクレーマー化を助長している。
池田小の遺族がクレーマーでないというのなら、加藤智大に殺された遺族がなぜ沈黙しているのか説明して欲しい。
凶悪犯罪者に民事責任を問うても意味がないので、何らかの管理責任を問えそうな場合だけ、遺族は出てくるのである。
もちろん裏では弁護士が知恵を付けている。
イベント主催者に管理責任というものがあるとして、凶悪犯罪者の民事責任をすべて引き受けなくてはならないのか、という問題だ。
もしくは、マスコミが遺族と一緒になって、「責任を認めろ」と押し掛けるのは、クレーマーの助長に繋がる。
池田小以来、クレーマーが流行りすぎである。
悪人を追及しても意味がないが、責任者を追及すれば金が出てくるという知恵を付けてしまった。
宅間守を糾弾するのはクレーマーとは言わない。
学校に殺されたと糾弾するのはクレーマーである。
ともかく露天商の渡辺良平にもう少し注目して欲しいものだ。
渡辺良平から金が取れないから、イベント主催者を糾弾するというのは、ある種の恐喝のような印象も受ける。
悪人本人には良心も金もないので、本人以外に管理責任を問うのが戦法として有効であるのは確かだが、「責任者」という概念を根本的に考えるべき時に来ている。
露天商が火事を出して三人が死亡した問題。
多くの人はこの事件を知っているが、この露天商の名前を聞かれても答えられる人間は少ないだろう。
渡辺良平という39歳の男だが、どうせ貧困層で金がないから、誰も注目してないのである。
渡辺良平には誰も興味持っていない。
あくまでイベント主催者の責任が追及されているのである。
福知山商工会議所は上限10億円の保険に加入しており、そこから支払われるらしいとの見込みがあるが、内部積立金の6000万円はすでに取り崩している模様だ。
管理責任を問う風潮から逃れられないという判断なのだろう。
イベントの主催者も大変であり、もし加藤智大が公道ではなく、どこかのイベント会場で暴れていたら、間違いなく被害者の会が結成され、「真相を知りたい」という遺族がメディアに連日登場しただろう。
要は「真相」とは「民事責任」を認めさせることなのである。
池田小の遺族はクレーマー扱いされるべきだろう。
学校に殺されたと言い張って、宅間守という戦後最大の犯罪者がどうでもよくなってしまった。
たいていの凶悪犯罪者は素寒貧で底辺層だから、訴訟を起こす利益がない。
宅間に裁判で勝っても何ら意味がないから、ああいう展開になったのである。
遺族と一緒になって「真相」を追及するマスゴミは、民事責任の問題を歪めているといえるし、遺族のクレーマー化を助長している。
池田小の遺族がクレーマーでないというのなら、加藤智大に殺された遺族がなぜ沈黙しているのか説明して欲しい。
凶悪犯罪者に民事責任を問うても意味がないので、何らかの管理責任を問えそうな場合だけ、遺族は出てくるのである。
もちろん裏では弁護士が知恵を付けている。
イベント主催者に管理責任というものがあるとして、凶悪犯罪者の民事責任をすべて引き受けなくてはならないのか、という問題だ。
もしくは、マスコミが遺族と一緒になって、「責任を認めろ」と押し掛けるのは、クレーマーの助長に繋がる。
池田小以来、クレーマーが流行りすぎである。
悪人を追及しても意味がないが、責任者を追及すれば金が出てくるという知恵を付けてしまった。
宅間守を糾弾するのはクレーマーとは言わない。
学校に殺されたと糾弾するのはクレーマーである。
ともかく露天商の渡辺良平にもう少し注目して欲しいものだ。
渡辺良平から金が取れないから、イベント主催者を糾弾するというのは、ある種の恐喝のような印象も受ける。
悪人本人には良心も金もないので、本人以外に管理責任を問うのが戦法として有効であるのは確かだが、「責任者」という概念を根本的に考えるべき時に来ている。
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