われわれは時代特有のライフスタイルをロールプレイすることを求められており、何らかの特定の考えを体現するために存在する。十一面観音が面相を変えるように別人になることは出来ない。死するまで、同じ顔つきで生きなければならない。われわれは柔軟性が低いので、老人が死に、新しい生命が生まれることでしか世の中は変わらない。文明は衰退することもよくあるので、世代交代が黄金時代の終わりを意味することもあるが、何にせよ、個体が入れ替わり世の中は変わる。1945年に日本は戦争に負けて、自由な社会となったのである。だが、いきなり変わったのではなく、保守的な世代が一掃されるまで五十年くらい掛かった。二世代掛かって、ようやく古い考えがなくなったのだ。1970年くらいまで見合い結婚は普通にあったし、女性の初婚の平均年齢は24歳だった。それから初婚年齢は一貫して上がっており、現在は29歳を越えている。30歳になるのは間近である。この初婚年齢の上昇の背景にあるのは、婚前交渉の自由化である。1970年あたりまで、結婚するまで処女という女性は普通だった。あからさまに貞操観念が蔑まれたのは、1980年代からである。蓮舫のような勝ち気な女がデフォになった。1990年代は女子高生ブームが煽られた。そして2000年代あたりになると、もはや女は反抗的ですらなくなった。自由が完全に定着したからである。若いうちはフリーセックスを楽しみ、若さを失うと婚活を始めるというライフスタイルが平穏に定着したのだ。敗戦でルールが変わっても、30年とか50年くらいは、保守層が戦前のルールを守り続けていた。それを背負ったのが長男、もしくは長男の嫁である。最近になって介護問題がクローズアップされるのは、長男の嫁が親の面倒を見るという風潮が消えたからである。戦後になって、兄弟で遺産相続が平等となったのに、長男の義務だけはしばらく解除されなかった。長男の嫁が寝たきり老人の面倒を見るのが当然だったのである。「長男とは結婚したくない」というのがずいぶん言われたのである。この戦後の長男の象徴が浩宮だった。なかなか嫁が見つからずに苦労したわけである。昔は「男は顔じゃない」と言われていたが、そういう時代が終わり、長男の荷の重さだけがイメージされる存在だった。そして実際に小和田雅子が嫁ぐと、長男の嫁という重責に悩まされたのである。メリットがないのに義務だけが多いという戦後の長男夫婦の典型となったのだ。弟の秋篠宮は、皇室の中ではちょっと軽い性格で、堅物であるところがリスペクトされる当時の皇室では違和感があったから国民的人気はなかったが、女からはモテるのですぐに結婚できた。落ち着き払った性格であり、他人を見下しているタイプなのだが、次男坊らしい世渡り上手でソーシャルスキルが高く、発達障害の対極であるともいえ、まさに今日的なリア充である。皇太子妃が公務をやらないことが批判されるが、元々は義務感が強い神経症的性格である。メンヘラになったのも、自由な時代に適応できずフリーズしたのである。自由に生きている秋篠宮夫妻の軽やかさと見比べて、義務だらけの自分に疑心暗鬼になったのだ。浩宮は戦後の長男タイプの苦悩の典型を演じたのである。そういう意味では、戦後の日本の象徴であった。保守的な長男夫婦が新しい時代に適応できない様子を、国民の前で見せたのである。秋篠宮夫妻に男児が生まれ皇統を継ぐことになったのは、新しい自由な社会の象徴であるのだろう。石部金吉のような日本人男性は完全に死に絶える。これから軽やかにステップする新しい時代が始まるのだ。1970年に三島由紀夫は、昭和天皇から園遊会で下賜された恩賜煙草を吸いながら日本刀を鞘から抜いて割腹自殺した。最近の日本で教養が疎まれ実学主義になったのは、三島由紀夫の死によって日本文学が終わったからである。三島文学は、戦前の教養人が古臭い教養主義を守るものだったから、1970年あたりが限界だったのだ。この後に来る女子大生ブームや女子高生ブームの前に日本から消え去ったのは賢明だったと言える。もはやまともな知識人がいないのだから、文系が無価値と言われても仕方あるまい。悪疫が流行るように新しい人間達が誕生し、古い人間は痕跡も残さずに退場していくしかないのだ。







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