われわれは「自分の部屋」と簡単に言うが、その建物は他人が建てたものであるし、部屋の中にあるアイテムのほとんどは他人が作ったものである。スマホやタブレットやパソコンがあるのは、現在において、それだけの技術が成熟したからである。われわれはその時代のインフラに全面的に依存して生きているのである。2027年にリニアモーターカーの開業が予定されており、これが実現すれば、品川から名古屋まで40分でいけるようになる。もちろん100年くらいすれば、さらに移動の高速化は進んで、現在とはまったく違ったライフスタイルになる。水道を使わず川の水を飲む自由はあるし、電気を使わず蝋燭の灯りで暮らすのも自由だが、わざわざそんなことはしないわけである。その時代の技術やインフラに合わせてライフスタイルは決定される。頭の中身に関しても同じである。その時代ならではの思考をするわけである。微分積分はニュートンとライプニッツが同時に発見している。発見したのはニュートンが先だが、ライプニッツの方が先に出版したという事情がある。どちらの功績として評価するかは難しいが、何にせよ、その時代に発見される運命にあったのだ。ダーウィンの進化論にしてもウォレスが同時発見している。19世紀になってようやく、進化論を唱えても異端審問で焼き肉にならない時代が来たのだ。学者たちは文化的に同じ情報を持っており、その知識を元に考えるのだから、似たような発見が同時に行われることは当然ある。そういう情報共有がなければ、天才も生まれないのである。たとえば江戸のように鎖国されている状態では、ニュートンでも万有引力の法則は発見出来まい。われわれのライフスタイルや思考はほとんど他者によって作られたものである。分散的に文化を共同所有しており、個人はノードのひとつでしかない。「江戸時代の人はこう考えていた」と、十把一絡げにまとめてしまうのがわれわれの歴史観だが、これは誤りではないのだろう。十把一絡げな存在の在り方に反感を抱いたとしても、それは捨象される。その時代の常識に付き合い、文化を頭にインストールして生きるしかないのである。この世に生まれ落ちるというのは、その時代状況の時間性に不可逆的に参加するということなのである。時間は撤回不能である。タイムマシンで戦国時代を観光旅行して、危なくなったら退避ということは出来ない。戦国時代に存在するというのは、肉体が戦国時代に囚われ、頭の中も染め尽くされ、脱出不能の地獄で塗炭の苦しみを味わうことなのである。時間は檻である。人間の肉体はナマモノである。少し呼吸を止めただけで死亡する。黙って座っていても、鮮度が落ち、老化し、腐敗し、死骸となる。飢饉の時にコールドスリープで退避し、豊作になったら眠りから覚めるというわけにはいかない。この脱出不能性こそが、世界、そして人間存在の本質なのである。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング