強者と弱者という世界観で世界や人間を捉える人が多いのだが、強者はハイスペックとは限らない。
実のところ、われわれが強者に逆らわないのは、相手がハイスペックだからではなく、取り巻きがわらわら湧いてくるからである。
こちらが孤立することが想定されるので、逆らわないわけだ。
強者と戦うというのは、十人くらいを相手に戦うことなのだ。
アメリカで銃乱射事件が起きるのはそういうことである。
弱者は孤立しており、四方八方に敵影がある。
取り巻きを作るのに成功した人間を強者と言う。
ドラえもんといういじめの教科書があるが、ジャイアンとは別に出木杉君というキャラがいるのが興味深い。
ジャイアン的な強者とは別に、出木杉君のようなハイスペック人間がいるという構図を提示しているわけだ。
強者とは遺伝子スペックの問題ではなく、取り巻きと孤立という図式で見た方が現実に近いと思われる。
実際のところ、美青年で頭脳明晰で運動も出来るような人間はいじめのリーダーにはならない。

クレッチマーの体型論は、ある程度当て嵌まっているが、しかし傾向の問題でしか無く、当て嵌まらないのが多々あるので、今日的に評価されているとは言い難いし、跡目を継がれることもない。
だが、学問的厳密性は別として、人間がある程度類型化されてるのは、われわれが人生での体験で知っていることである。
厳密には分類できないが、ある程度パターンはあるわけである。
たとえば闘士型の人間。
肩幅が広くガッチリしており、肥満というよりは筋肉の固まりという印象を受ける。
わりと鈍足であることが多く、運動神経もあまりよくない。
頭脳明晰というタイプでもない。
だが、弱者から見ると、何となく強そうなのである。
そして威張るタイプにもなりやすい。


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たとえば石本太一は闘士型である。
出木杉君タイプとは懸け離れているが、ジャイアン的なオーラがあり、だからこそ関東連合のリーダーにもなったのだ。
関東連合がハイスペック集団かというと、そんなことはないわけだ。
何にせよ、強者・弱者というありきたりな人間観ではなく、ジャイアンと出木杉君の違いという観点から人を見てみるのも面白いだろう。
出木杉君が乱暴狼藉に及ぶかをよく考えた方がいいし、またニーチェ的な強者であるかどうかも疑問である。
多数派を形成する力学と、遺伝的なスペックの善し悪しは別問題である。







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