竹田恒泰が二股を掛けたのが話題となっているが、そもそも皇族は色好みであるし、変人も多い。
今上天皇のような常識人は少数派である。

昭和天皇が結婚する時に「宮中某重大事件」が起きたのだが、このゴタゴタを起こした久邇宮家はトラブルメーカーの集まりである。

なお文章の煩雑さを避けるため、
久邇宮朝彦親王(初代)
久邇宮邦彦王(二代目)
久邇宮朝融王(三代目)
という表記をすることにする。

久邇宮朝彦親王(初代)は、幕末の頃、公武合体路線の孝明天皇から厚い信頼を受けていたため、後の新政府から疎まれていた。幕末の八月十八日の政変(1963年)で長州藩を排除するクーデターを行っている。池田屋事件(1864年)では、この久邇宮朝彦親王邸への放火も計画されていたが、新撰組の活躍で未然に防いだ。ともかく後の新政府側が排除したい皇族だったのだ。
1867年に孝明天皇が崩御(たぶん暗殺)したため、久邇宮朝彦親王は失脚。明治維新後は幕府再興を画策したという言いがかりで逮捕され、それはうやむやになったが、広島藩預かりとなった。これを主導したのが岩倉具視であり、孝明天皇の暗殺の首謀者としても、よく名前が挙がる。このあたりは公家の間での権力闘争である。
その後、朝彦親王は許され、1875年(明治八年)に久邇宮家を創設した。(名前が久邇宮になったのはこのときからである)。過去に僧籍に入っていた頃に神社の巫女を妊娠させているし、なかなかアクティブな人間である。

その久邇宮朝彦親王の政治性を引き継いだのが息子の久邇宮邦彦王(二代目)である。娘の良子女王が(皇太子時代の)昭和天皇と婚約したのだが、この良子女王に色覚異常の遺伝の疑いがあることがわかったので、山県有朋が婚約解消に動いた。
戦前は皇族が軍隊に入るのが普通だったし、昭和天皇(当時は皇太子だが)の妃ともなれば、未来の大元帥を産む立場でもある。今日でも自衛隊では色覚異常だとパイロットになれないとか、いろいろ制限がある。この当時だと、色覚異常があると海軍兵学校には入学出来なかった。色覚異常は致命的だと山県有朋は主張したのだ。首相の原敬も婚約は解消するべきという立場だった。また西園寺公望も婚約解消すべきとの意見だった。ただ、山県有朋は長州閥である。良子女王の母親は薩摩藩藩主島津忠義の娘であるから、山県有朋が反対したのは長州閥の利権のためという意見もある。
軍隊で皇族は特別扱いであり、実際、良子女王の兄の久邇宮朝融王は色覚異常があったが、皇族は無試験なので海軍兵学校に入っている。皇族は戦争にも参加したが、戦死した人間は1人もいない。最前線で戦うはずもなく、ある程度安全な場所に配置されていたわけである。天皇は統帥権を持ち陸海空の最高指揮官(大元帥)となるが、天皇が戦闘に参加するわけではないので、色覚異常が致命的とも言えない。

久邇宮邦彦王(二代目)は娘の婚約解消を阻止するために様々な策を弄し、怪文書が乱れ飛んだ。久邇宮邦彦王が折れないため、ひっそりと婚約解消することは出来ず、これ以上の混乱を防ぐため、婚約は破棄されないことになった。原敬は久邇宮邦彦王が昭和天皇の外戚としてトラブルを起こすのを危惧していた。壬申の乱や南北朝を考えれば、皇族同士の争いは絵空事ではなく現実にありうるので、トラブルメーカーである久邇宮邦彦王は不安の種だった。だが、久邇宮邦彦王は1929年(昭和四年)に55歳で死去してたので、そういう懸念は回避された。

久邇宮邦彦王の息子の久邇宮朝融王(三代目)も問題児だった。これがずいぶん遊び人だったようである。昭和天皇の婚約問題の後、決まっていた自分の婚約を解消しようとする事件を起こしている。久邇宮邦彦王も婚約破棄を強硬に主張し、後に婚約が破棄されることになる。このダブルスタンダードな行動を見て、この親子はおかしいという見方が広がり、少しは山県有朋にも正当性があったのではないか、とも思われたようだ。久邇宮朝融王は婚約破棄に成功した後、別の女と結婚したのだが、浮気で侍女を妊娠させる騒動を起こしている。久邇宮は三代続けて野心あるトラブルメーカーだったのである。

この親族は他にも下半身スキャンダルが結構ある。久邇宮邦彦王(二代目)の腹違いの兄弟が東久邇宮稔彦王である。敗戦直後に首相になった皇族である。
この人物は、明治天皇の娘と結婚した後、フランス留学中に現地で不倫して愛人を作り、日本に帰りたくないとゴネた。臣籍降下を申し出るくらいに強硬な姿勢だった。大正天皇が危篤だと連絡しても帰られなかった。大正天皇が崩御して、ようやく帰国となったのだが、この際もずいぶん大変だったようだ。

久邇宮朝彦親王(初代)の兄弟の北白川宮能久親王は彰義隊に担がれて、その後は蟄居生活になった。それが終わってドイツに留学したら現地の女性と婚約してしまった。日本に帰国後、考え直して婚約を解消することになった。また晩年にこの能久親王の隠し子が二人出来てた。この二人の子どもは皇族にするのは無理ということで、伯爵の扱いになった。

この北白川宮能久親王の息子が竹田宮恒久王であり、明治天皇の娘と結婚している。その子孫が竹田恒泰である。

同じく久邇宮朝彦親王(初代)の兄弟の山階宮晃親王は妹(実際は二歳年下の叔母)と駆け落ちする事件を起こしている。竹田恒泰はこのあたりの皇族と血が繋がっているのだから、二股くらいは普通と言える。


※参考文献
「闘う皇族 ある宮家の三代」浅見雅男







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