われわれは自らの生活史がガラス張りになることは望んでおらず、よほど恵まれた人生でない限り、墓場まで持っていく秘密はある。自らの網膜に焼き付いた出来事を誰にも語ることのないまま死んでいくのである。柩の中の死に顔は何を語ることもない。生まれてから死ぬまでの事実性のすべてが、われわれの存在に他ならないのだが、人はそれに鍵を掛けようとするし、つまびらかにすべてを告白することはない。自叙伝を書く人はいるが、肝心な部分は筆を省く。誰にでも秘密があるのが、われわれの存在の本質だと言えるのである。お互いに不完全な情報を持ちながら、憶測や想像で接しているのが人間社会なのだ。自分語りをする際に多少の化粧で糊塗することは認められている。素顔は晒したくないというプライバシーの希求により、人々の裏側の疵は隠され、国家の都合の悪い秘密も闇に葬られる。時間の中で不可逆的に事実が確定されるのが世界の本質であるのに、その事実は曖昧にされ、多くがねじ曲げられたり、闇に葬られる。いろんな意味で世界は想像力で成り立っているのだ。

大英帝国の象徴であるヴィクトリア女王には血友病の遺伝子があった。その血を引き継ぐアレクサンドラはロシア皇帝ニコライ二世に嫁いだが、世継であるアレクセイが血友病になった。転んで怪我をするだけで、ものすごい騒動になるわけである。その当時は治療法がなかったので、皇后はこの問題で塗炭の苦しみを味わっており、心痛の極みであった。そして血友病を治せると称するラスプーチンにすがった。これによるラスプーチンの宮廷支配がロシア革命の遠因になった。皇帝ニコライ二世一家はロシア革命で皆殺しになった。しかし、末娘のアナスタシア皇女が生き残りとして現れたのである。アナスタシアに逢ったことのある貴族達は、本人だろうと証言することもあった。かなり似ていることは確かだった。1956年にイングリッド・バーグマン主演で映画が作られるなど、大衆の耳目を集めたが、真偽が判然としないままアナスタシアは死んだのである。本物かニセモノかという事実性はひとつだが、ひとびとがその真実を知る由はなかった。歴史にはこういうわからないことがあるのだ。しかし最近になってDNA鑑定というものが出てきたわけである。この鑑定によって、アナスタシアと称していた女は偽者であることが判明した。死刑囚がDNA鑑定で無罪となり釈放となることもある。葬り去られ確認不能だった事実も、DNAの照合によりわかるようになったのだ。とはいえ、DNA鑑定でわかることは限られている。本人か別人かどうか、ということだけだ。

取材というのは茶番である。記者が行政からリークして貰うだけだから、どれが新聞種になるかは行政が決める。大手マスコミだけが入れる記者クラブなる特別室で御菓子が用意されることもある。警察があいつがあやしいと言えば、マスコミは篝火とガソリンを持って現場に殺到するが、これも警察次第なのである。袴田事件では、被害者家族の生き残りの長女が(再審開始の翌日に)死んだわけだが、静岡県警は「事件性がない」の一言で済ませた。警察が貝になれば、それでおしまいなのである。袴田事件の被害者家族は子どもに家庭教師が付くくらいに裕福だった。生き残った長女は家族仲が悪くて孤立していた。資産家の家に強盗が入ったわりには、あまり物盗りの形跡が無く、怨恨の線が疑われた。生き残った長女に多額の遺産が入ったので、穿った推理をするまでもなく、この長女と情夫が真犯人なのだが、なぜかスルーされた。そしてこの長女は袴田さんの再審開始の翌日に死亡した。静岡県警が情報を出さないから、飼い主のマスコミもだんまりなのである。ライブドアの野口が沖縄で死んだ際、警察は自殺だと断定した。あちこちに刺し傷があり、腹の傷は深さ8センチ横12センチであった。自殺とすると、切腹して、それから自分で介錯するためにあちこち斬りつけたとしか思えないが、そんな不自然な死に方があるだろうか。包丁を自らの腹に突きつけ、8センチの深さまで押し込み、血に塗れた臓腑を切り裂きながら、横薙ぎに12センチも移動させる箍が外れた自刃であり、戦国時代の侍とてここまでは出来ない。かなり高い確率で殺人だと思われるが、警察が自殺だと決めたら自殺である。自殺か他殺か、事実はひとつだが、これも永遠に判明しないのだ。

冤罪が疑われる事件として有名なのは帝銀事件である。これは何とも言えない事件である。袴田さんの場合、被害者家族の生き残りの長女という有力な容疑者がいるのに比べると、平沢はどうにも怪しい。袴田さんが真犯人である可能性は寸毫も認められないが、平沢は何らかの形で事件に関与している可能性はある。

平沢貞道が帝銀事件の容疑者となったのは、この前に未遂事件が二つあったのだが、そのうち安田銀行荏原支店で差し出した「厚生技官医学博士松井蔚」という名刺が残っていたからである。この松井博士は実在の人物で、名刺を交換した人物を虱潰しに調べると平沢がいたのである。平沢は松井博士と名刺交換した事実を認めながら「財布をスラれたときに名刺は無くなった」という。これでかなり怪しいと見られたのである。この問題を考えると、平沢が疑われるのは、それなりの理由がある。帝銀事件では犯人が名刺を持ち去ったため残っておらず、受け取った支店長は名前を憶えていなかった。仮にこの名刺が松井博士のものであるとすると、名刺が二枚あることになり、平沢の疑惑は晴れるが、ともかく犯人が名刺を持ち去り、支店長が記憶してないので仕方がない。帝銀事件の実行犯はかなり毒物の扱いに手慣れていた。画家の平沢貞道が帝銀事件を実行できるとは思えず、冤罪と想像される最大の理由がこの点である。当初、警察は旧陸軍関係者を中心に調べていた。松本清張の「小説帝銀事件」ではこんな風に書かれている。

犯人が毒を飲ましたときに使った瓶、ピペット、医療器ケースなどの正体を突きとめるために、鑑識課の技師が、被害者を連れて、医療器具店や、瓶問屋を片っ端から調べて歩き、三カ月かかって、ようやく類似品を見つけ出した。それによると、いずれも戦前に出来た良質のものらしく、特にピペットと、医療用ケースは、軍で多く使っていたものらしかった。このピペットは特殊なもので、生化学や、分析化学関係のような、或は細菌学上の実験、軍関係の研究所などのほかは、あまり一般には用いられないものだった。さらに、そのピペットを入れて来た医療器ケース、瓶類は、戦後にはいずれも良質のものは生産されていないのに、生存者の話の様子では、そうとう良質なものらしいので、おそらく戦争初期のものと思われた。

だが、特に軍を強調した理由は何であろうか。これについての捜査本部の推定は次のようなものであった。第一に、犯人は、毒薬の量と効果に、強い自信を持っていたと認められることである。犯人が帝銀で使用した毒薬は、青酸化合物の溶液で、その濃度は五パーセントから一〇パーセント、一人に飲ました量は、だいたい五ccと推定された。この量は、青酸カリの致死量とすれすれの量であり、そこに、犯人が、最少の量でなるべく飲み易くし、しかも目的を達しようとした努力が窺われ、特に犯人が十六人を殺すのに、この溶液を、僅か一二〇cc入り小児用投薬瓶に入れて来て、これを一人に付二cc入りのピペットで二回半足らずを正確に計り出した点から見て、犯人は、これだけで十分目的を達し得るという、薬に対する知識と自信を持っていたことがよくわかるのである。もしこの自信がなければ、大事をとって、もっと濃度を高めるか、液量を増すかして、そこに素人臭い、なんらかのやり損いを見せる筈であるのに、このようにほとんど完全に近いまでに目的が達せられたということは、素人のまぐれ当りとして見逃すわけにはいかない、というのである。


松井博士は731部隊と関係があったため、実行犯は731部隊の誰かではないか、と囁かれた。だが、平沢が登場してから、旧陸軍の捜査の線は消えてしまった。GHQから圧力が掛かったという説もある。平沢貞道は帝銀事件の後に金回りがよくなった。これがかなり問題である。

平沢白説にとって、致命的なのは、昭和二十三年一月二十六日に、平沢に出所不明の大金が入っている事実である。これは、どのように平沢の側に立って贔屓している者でも、はたと当惑しないでは居られない。  弁護人団も、この金の出所になると、俄かに顔色が悪くなるのである。というのは、平沢は、金の点になると、弁護人にも曖昧なことしか言わないからだ。  平沢は一月二十八日に東京銀行へ、林誠一のチェーン預金を八万円し、一月二十九日平井の清水虎之助からといって、妻マサに渡したのが三万五千円、同じく三十日古河電機の西村啓造からと言って渡した一万円、同三十一日住友銀行の封鎖解除になったからと言って渡した九千円、合計十三万四千円は、確かに平沢が所持していたとみられている。


松本清張は春画を描いて貰った金だと推察しているが、画家にとって恥であるとしても、死刑と引き替えにして隠す事実とは思えない。松井博士の名刺の件と合わせ技で犯人と思われても仕方がない。警察は当然ながら松井博士も絞り上げているが、松井博士は何も知らないと貫き通した。そもそも松井博士が犯行に関わっているなら、松井博士の名刺を使うのは不自然であると思える。平沢は狂犬病の予防接種をした際に、コルサコフ症候群になっている。端的に言えば脳の病気であり、言動が不安定で虚言癖が多いとされる。なにしろ脳がおかしいのだから、不審人物としての要件が備わっており、警察が犯人に仕立て上げやすいタイプではある。帝銀事件の容疑者として怪しいというよりは、普段から怪しいのだ。帝銀事件で平沢が犯人だと断定できる物的証拠はないのだが、この頃は旧刑事訴訟法だから、自白さえあればいいのだ。(袴田さんは法律が変わっても自白を強要されたが)。また当日の平沢のアリバイも何とも言えない。東京丸の内に昼頃にいたのはわかっているのだが、時間が判然としない。一応は東京にいるわけだから、(犯行時刻は午後三時過ぎだが)豊島区の犯行現場に行けないことはない。だが、いろいろな条件を考えると、午後三時に到着は無理だと言われている。疑われる要素がいろいろあるのは間違いないし、共犯者の可能性も疑われるわけだが、平沢は一切を否定し、95歳で没した。死刑囚として32年を過ごした。その確定判決の前も含めると40年くらい檻の中で過ごして死んでいったのである。真犯人が誰なのかという事実はひとつだが、これは永遠に判明せず、曖昧な謎として続くだけである。







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