われわれは第三次世界大戦が始まるまでの戦間期を生きているが、この平和に見える風景は、単に悲劇が可視化されないだけなのである。人類は兄弟だから仲良く出来るという人がいるが、兄弟で仲が悪いのは普通である。人間なんて誰しも中身は似たようなものであるが、他人が満腹になっても、自分の腹は膨れない。性欲に関しても同じ事である。肉体的欲求は排他的なのである。誰かが欲を満たせば、他の誰かが満たせないというゼロサム関係であり、特にセックスはそうなのである。

世界は差異で創られている。たとえば野球で130キロ投げる投手と、140キロ投げる投手を考えよう。これが電車の速度だったら、われわれは見分けが付かないに違いない。しかし野球というゲームで打者と対戦するとなると、130キロと140キロだと全然違う。スピードガンの表示が無くとも、その速度の差は観客から見て一目瞭然なのだ。人間と人間が対戦するとなると、僅かな差が決定的なものとなる。

美人とブスも同じ話であり、これが人間の顔でなければ、それほど差はないに違いない。骨董品の造形の美しさなどわからないのが普通である。肉体的な美は、われわれにとって最も重要な欲求であり、この格差は決定的なのだ。

もしくは身長にしても、われわれは数センチの差にも敏感である。これが物干し竿の長さだったら、われわれは明確に答えられないはずだが、身長に関しては、僅かな差でも見抜くのである。自分の身長と比較というのもあるが、たとえばベンチに座った状態で人々を見ても、その身長はほぼ正確にわかる。どんなに唐変木であっても、肉体の差異という文脈に組み込まれると、その違いは歴然とわかるのだ。

われわれは他人と同じ欲望を持ち、いつでもライバル関係にあるのだから、そう簡単には融和できない。分配の対立は常にある。他人から根こそぎ奪い取る行為はごく普通に行われる。現代の日本でも、イケメンが若い女を根こそぎ持って行くようになっている。根こそぎが原則なのだ。フリーセックス社会とは、童貞が多い世の中なのだ。

人間が同じであることが問題なのである。道重さゆみちゃんを可愛いと思うのがわたしだけだったら、手に入る可能性もあるだろう。だが、世界中の誰が見ても可愛いのだから、手に入るわけがない。多少の好みの差はあれど、人間の審美眼は同一だから、競合するのが決まりなのだ。みんな同じものが欲しいのである。

今日において身分制度はほぼ撤廃されているが、肉体的欲求の対立という根源的な問題は何も変わっておらず、上流が根こそぎ持って行くのも全然変わってない。最近流行の新自由主義も、根こそぎ奪い取るという発想のものである。社会主義が失敗したことへの反動とも言えるが、同じ欲望の持ち主だからこそ、争いが絶えるはずがないのだ。







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