田山花袋の「蒲団」は著作権が切れていて無料であるが、ほとんど読んでいる人がいないように思える。「蒲団」は1907年(明治40年)に発表された作品である。ごく普通に読みやすく面白い小説であり、名作と呼んで差し支えない。田山花袋の経験そのものを描いており、モデルの人物も神戸女学院を退学して東京に出てきて田山花袋に師事している。「蒲団」の主人公は古臭いおっさんであり、ヒロインは新時代のハイカラな少女である。主人公の細君の古臭さに対して、このヒロインはとても鮮烈な新しさを持っているのだ。
尠くとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。
昔の恋人――今の細君。
曽ては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変った。
四五年来の女子教育の勃興、女子大学の設立、庇髪、海老茶袴、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。
この世の中に、旧式の丸髷、泥鴨のような歩き振、温順と貞節とより他に何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。
路を行けば、美しい今様の細君を連れての睦じい散歩、友を訪えば夫の席に出て流暢に会話を賑かす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶煩悶には全く風馬牛で、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。
「寂しき人々」のヨハンネスと共に、家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。
これが――この孤独が芳子に由って破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生! 先生! と世にも豪い人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおられようか。

このハイカラという単語が作品内で盛んに使われるのだが、いかにも洗練されたヒロインという印象を強くする。神戸女学院という設定も萌え要素である。旧式の主人公と、その平凡な妻と子どもの世界に、神戸女学院のハイカラな女学生が入ってくるという設定であり、ほとんどライトノベルとも言える。主人公はヒロインに恋慕しつつも手を出すことはない。あくまで師匠と門下生として節度を守って接していたのである。貧しい四畳半の書斎が、女学生の匂いで色づくだけで満たされていたのだ。しかし、このヒロインに男が出来てしまう。主人公は保護者としてヒロインの貞操を問題にする。ヒロインは清らかで精神的な愛だと主張する。だが時間が経つうちに肉の繋がりがあるのがわかり、ヒロインは故郷に連れ戻される。主人公はいなくなったヒロインの使っていた蒲団の匂いを嗅いで悲しみにむせび泣くのである。主人公は妻子がありながらも女学生に眷恋し性に煩悶するのだから、童貞の立ち位置である。みじめなオッサンであることが強調されていることで、ヒロインの洗練された美しさが際立ってくる。結婚しているから童貞でないというわけではない。天使レベルの女を抱いたことがなければ既婚者でも童貞なのだ。「蒲団」はこの問題を見事に取り上げており、日本文学史で欠かせないのも当然なのである。村上春樹は三島由紀夫や太宰治のような自然主義・私小説作品を理解できないとしているが、間違いなく田山花袋の「蒲団」も嫌いに違いない。村上春樹と田山花袋を対比していうなら、ヤリチンはフェミニストであり、童貞は男尊女卑ということになるのだろう。村上春樹の作品なら、この「蒲団」の主人公は女学生と気軽に寝て気軽に別れるだろう。そういうサバサバした後腐れのなさが男女平等であり、フェミから支持されるらしい。村上春樹にとって「手の届かない女」はいないのである。見てくれの悪い顔でも、平気で美人を抱けると思っており、それを実践しているのだ。田山花袋の「蒲団」はヒロインの処女性を巡って悶々とする作品だから、村上春樹の愛読者からの受けは悪いはずである。おそらくは、理解できないと投げ捨てるか、もしくは焚書のように扱うのだろう。処女崇拝は女に貞操帯を強いるような暴力であり、今日では人権侵害になるらしい。純文学が衰退したのは、戦後生まれの教養レベルの低さという問題もあるが、私小説として処女崇拝を描くのが時代的に難しくなったからである。無造作に平地が続くような現代の日本を舞台にしてしまうと、緊張感のある物語が成り立つのは難しい。だからライトノベルという仮想世界でやるしかないのだ。ラノベ作家のほとんどは「蒲団」を読んでないはずだが、やけに通底するものがあるのが興味深い。美少女に眷恋して処女であることを願うのは、100年経っても変わらないらしい。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング