最近神経症という言葉をほとんど聞かなくなった。DSMの用語(たとえば強迫性障害)が使われるようになったというのもあるが、そもそも神経症自体が減っていると思われる。神経症とは、真面目な人間がさらに真面目になろうとする力学で発生する。一昔前は、真面目であればあるほど望ましいという風潮があったのだ。今日では真面目さより温厚さが評価される。真面目さというのは、頑固さ・気性の激しさ・思い込みの激しさ・視野の狭さを含んでいるので、今日では忌避される。今日では、真面目な人間は、その真面目さの度合いを下げることが求められ、空気を読んで柔軟に物事を見るように努力する。それによって厳格さは低減することになるから、厳格さによって発病する神経症にもなりづらい。われわれはそういう時代の価値基準に従って存在しているのである。

現世に生きるわれわれ空蝉は他人から評価されるために生きているのである。それにより時代に取り込まれるのだ。他人からの評価など不要と言えるわけがない。現世に送り込まれ戦わされ、死んで除隊するまで、延々と勲章を得るための行動を選択するしかないのだ。その時代の評価基準は遺漏無くすべての人々を拘束する。時代から逃げられる人間はひとりもいない。現世に肉体として存在するとは、胃袋と生殖器を人質に取られるということだ。その時代の評価基準に合わせる努力をしなければ、胃袋は空になり、生殖器をあてがう相手がおらず空閨を託つことになる。時代に合わせることで美食と美女が手にはいるとしたら、誰が逆らえるだろう。

かつて教養主義というのものがあった。これは旧制高校の文化であるが、自分なりに読みたい本を読む余裕があったと思われる。今日では自分が勉強したいことを勉強するのは許されない。試験に出るところだけ勉強しなければならない。試験に出ないことは極力やらないことが求められる。試験に出ないことを勉強するのも自由であり、役に立たない本を読んで憲兵に引っ張られることはないが、受験で不利になるので、「試験に出る」と言われたら唯々諾々として従うしかなく、事実上の強制である。これだと教養主義などあり得ないのである。

大学受験にすべてを掛けている韓国の文化レベルの低さ、もしくは戦後生まれの日本人のレベルの低さは、このあたりが原因であろう。日本と韓国では(事実上)試験に出ないことを勉強をするのが禁じられている。試験に出ないところを勉強するのが時間のロスと認識されているから、それに応じた教養レベルになるのである。ペーパーテストは公正な制度であるが、日本や韓国のように親の教育熱が高まると受験のハードルが高くなりすぎて、試験に出ないことは一切やらないという合理性に到達する。

日本の戦後生まれの知的水準はかなり低い。戦後生まれのノーベル賞受賞者は田中耕一(昭和34年生まれ)と山中教授(昭和37年生まれ)だけである。村上春樹(昭和24年)はノーベル文学賞を受賞するかもしれないが、どっちにせよ、昭和20年代生まれは反知性主義の固まりである。団塊世代(1947-1949年生まれ)が大学を卒業して就職したのは1970年あたりなのだが、彼らは頭が悪いだけでなく、戦後の復興を担ったという嘘を広めている。団塊世代は大学で暴れていただけである。1970年までの日本は戦前の人間が創った。それ以降は戦後生まれが乗っかって壊していっただけなのである。

戦前と言えば、1925年の治安維持法で共産主義者への弾圧が始まり、やがていろいろな思想が規制され全体主義に向かっていったから、ものすごく不自由で北朝鮮のような国家だったというイメージがあるが、1925年まではわりと民主的な国家であった。戦前に問題があったとすれば、明治憲法の統帥権の問題である。幕末の孝明天皇は江戸幕府寄りであり公武合体を支持していた。それが新政府に都合よく死んでしまい(たぶん暗殺)、明治天皇は新政府が確保し、大政奉還、江戸無血開城となった。市民革命ではないのだから、国民主権のはずがないし、明治天皇を持ち上げて天皇の軍隊だと強調するのは当然であった。明治憲法は内政問題は議会だが、軍事問題は天皇(大元帥)ということだった。戦後にマッカーサーが憲法を日本人に作らせようとしたら、誰も国民主権に基づいて草案を作らないから、マッカーサー側が作ることになったのだ。このあたりの経緯からして、日本人は戦前は土人のような生き方をしており、戦後になって民主的になったとされているが、エリート層に関しては、ノーベル賞受賞者がこれだけいるのである。

1899 川端康成
1901 佐藤栄作
1906 朝永振一郎
1907 湯川秀樹
1918 福井謙一
1921 南部陽一郎
1925 江崎玲於奈
1926 小柴昌俊
1928 下村脩
1930 鈴木章
1935 根岸英一
1935 大江健三郎
1936 白川英樹
1938 野依良治
1939 利根川進
1940 益川敏英
1944 小林誠

三島由紀夫(1925年)も生きていればノーベル賞は間違いなかった。偉大な日本人というのを思い浮かべると、たいていは戦前生まれなのである。高名な経営者にしても、松下幸之助(1894年生まれ)、本田宗一郎(1906年生まれ)、盛田昭夫(1921年生まれ)、稲森和夫(1932年生まれ)は戦前である。戦後生まれは、試験に出ない勉強をすればするほど不利になるのだから、主体的な向学心を奪い取られている。推薦入学に関しても、定期テストに出るところだけ勉強しているわけだ。AOは大学入学後の意欲が求められるだけである。最近は予備校でもAO入試コースがあるところが多く、そこでAO対策をするのだ。試験に出ないことを勉強するメリットがあまりにも乏しい。受験制度をどのように変えたところで、入試に役に立たない勉強はしないというのは鉄の規律である。日本も韓国も、教育ママによって文化レベルがとても低くなっている。嫌韓と言って、韓国を馬鹿にする風潮があるが、戦後生まれの日本人は韓国人と大差ないので注意が必要だ。







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