人間は手段として存在している。他人の手段として有用性を発揮することで存在出来る。あなたに「本命の恋人」と「やり捨てる恋人」がいるとして、本命は本当に好きだから手段ではないと強弁するかもしれないが、これにしても理想に適合しているから用があるのだ。何らかの理由で理想の適合性が破綻したなら、真実の愛も目出度く消え去るし、用済みということになるだろう。つまり人間存在はすべて有用性から説明されるべきなのである。用済みになって掌替えしというのは、多くの人が経験することである。近衛文麿は12歳の時に父親を亡くして周囲の態度が変わったことで、ずいぶん疑心暗鬼な性格になったとされる。有用性が無くなった瞬間に、先日まで媚びていた連中の顔つきが変貌し「こいつは用済み」という態度になるのは当然である。馬齢を重ねて人生の苦みを味わえば誰もが気づく仕組みなのだが、経験するまでわからないようである。チヤホヤされるというのは、有用性を失った段階で捨て去られる危険な状態なのだが、だいたいの人間は手遅れになってようやく気づくらしい。われわれはお互いに相手の有用性をあてにして人間関係を作るので、手段として存在することには逆らえない。西村博之は完全に有用性を失った存在である。用済みなのである。今後西村が新しいビジネスをやることは出来ない。しかし、西村は多くの秘密を知っているわけである。まとめブログでグーグル検索を占拠する現状まで生んだのだから、ネットの世論工作のすべてを知る立場である。誰もが西村と手を切りたいのだが、西村が秘密を暴露すると大変なことになる。現行法だとステマは違法ではないが、自作自演のカラクリが発覚したら社会的信用を失う。われわれとしては西村が麻生太郎と竹中直純の手練手管の全てを活写すべく筆を執り、前代未聞の暴露本が揮毫されることを願うわけだが、義憤や正義感が寸毫も認められない人物であるから、おそらくはブラックジャーナリストとしておこぼれを貰う後半生になるのだろう。共犯者であったお歴々にとって、抜いてはならない虫歯のような存在になる。最近はツイッター炎上や、既婚女性板の祭りもめっきり減ったが、落ち武者となった西村が座する貧しい裸城には多くの秘密が根雪のように残っており、社会的有力者の弱味を握った状態なのである。その罪障の深さに連座する旦那衆がどういう態度を取るか、それが今後の見物だろう。







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