2014.06.29
電通資本主義。ザッケローニ。流行が陳腐化する周期。
電通はまったく実力のないサッカー選手を花形役者のように祭り上げた。小売店に売れ残ったグッズが山のように積み重なっていたり、もしくは大量に商品が撤去されたとおぼしき空の棚を見ると、あの取って付けたような賑わいや、その豪奢な虚無が痛々しいが、この痛ましさは秋元康に籠絡されたセガと同じ構造であり、電通側にダメージはない。流行が終わってくれないと困るのが電通なのである。永遠に流行ってしまうと新しいものが売れないので、ガラクタを流行らせて早々とオワコンになるのが都合よい。本田圭佑はガラクタとして葬り去られるが、これこそが電通商法の本質である。流行らせたらすぐに陳腐化させて、また新しいものを売り出すのだ。それこそサッカーが完全に崩壊し根絶やしにされたとしても、電通は野球に乗り換えればいいだけである。先進国の中で日本だけ一業種一社制(ひとつの広告代理店はひとつの業種でひとつの企業しか担当できない)というルールがないから、焼き畑農業であちこち壊滅させて、また別の場所で促成栽培という厚顔無恥な行為ができる。サッカー文化を愛してじっくり育てる必要など無いのだ。大仰に揮毫したキャッチフレーズをいとも簡単に破り捨てるのが電通資本主義であり、糟糠の妻を長年愛するような姿勢とは対極のビジネスモデルなのである。韓流の衰退も、流行させる段階で陳腐化が予定されている電通資本主義としては想定内であろう。われわれが自由だと思っていたネットでさえ、麻生機関の支配下にあった。麻生将豊(麻生太郎の長男)を中心とするコネがあらゆる領域まで繁茂し、神経の深くまで根を張り、電通(ホットリンク)も関与していたのである。世の中は何でもかんでもオープンにはなっていない。裏側に想像力を働かせることが必要である。では想像力で真実がわかるかというと、わからない。スターシステムに猛反発し中村俊輔を外したトルシエに比べると、ザッケローニは度外れにスポンサー(電通)の要求を丸呑みしているし、ザッケローニが利益を受けていても不思議ではないが、その証拠が白日の下に晒されることはない。電通幹部がザッケローニを接待してないことは考えづらい。ザッケローニがあらゆる接待を拒み、なんら饗応を受けず、密議をかわすことなく、無私無欲であのメンバーを選んだと考えるのは困難だ。渋谷のサポーターは、コートジボワール戦で負けたのに笑顔で大騒ぎして痴漢大会やってることからして、サクラであるに決まっている。小泉タウンミーティングと裁判員制度のタウンミーティングでは、公金を使ったので、電通のサクラ問題が明らかになっている。今回の日本代表の敗北は、ネット住民が電通を問題視する大きな切っ掛けとなりうるのだが、その機会を生かそうとするものはおらず、流行らせて陳腐化という電通資本主義に屈しているようだ。サッカーに飽き飽きしている人々の姿は、まさに電通の狙い通りであり、次の疑似餌に引っ掛かるための間抜け面をさらしているだけである。麻生機関の存在は、Jimというひとりの退役軍人が明らかにしたが、Jimが開いた戦端に続く日本人はおらず、勇者が茨の道をひとりで歩いている状態である。遠くの機影や着弾音に気づきながらも、哨戒機を飛ばすことすらなく、死体のふりをして転がっているのが日本のネットユーザーであり、その表情に生気を取り戻す権利など無いのである。Jimがわれわれ日本人の代わりに矢傷を受け、一騎当千の活躍をしたところで、周りが傍観者を決め込んでいるのでは、西村の復活も時間の問題だろう。
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