嫌な体験を忘れる方法はないだろうか、という人がいる。だが、忘れたら困るのでは無かろうか。レイプされたとして、それが忘れられなくて辛いという人は、水に流すことを望んでいるのだろうか。レイプした相手に会っても、笑顔で屈託無く接したいのであろうか。罪を体現するのは人間である。この世の中は因縁で出来ているのである。因縁こそが世界の本質なのである。すべての言動は後患となりえる。この大地に産み落とされると、われわれは因縁という業病に感染し、それは死ぬまで続くのである。

会津の人間が未だに薩長を恨んでいるのも、これは人間としてのルールなのである。会津と無関係のわれわれが歴史を振り返るとしても、薩長は勝利感を持って永眠し、会津藩は死後も敗残者として苦しむと考えたりする。戊辰戦争に負けた側は靖国神社で祀られていない。白虎隊は官軍の大軍勢になぶり殺しにされ、その鈴なりのように並んだ血まみれの死体は野ざらしにされ、死んでもその魂は蔑まれたのである。

もちろん死んだら魂など無いだろうが、死んだ後の勝利感や敗北感が残存思念として残ることは、なんとなく信じている。というより、迷信とわかっていても信じたいのだ。死んだら無になるのを当然の前提としている社会もなかなか恐い物である。

安倍晋三が靖国参拝にこだわるのは、岸信介が山口県(長州)の人間だからである。そもそも靖国神社は、明治新政府が作ったものであり、たかが150年くらいの歴史なのである。靖国神社は大村益次郎(長州閥)が作ったものだから、長州のための神社という側面が強い。A級戦犯を合祀してから昭和天皇は参拝するのをやめたのに、安倍晋三が参拝にこだわるのは、いかにも天皇を「玉」としか考えない長州閥の思考なのである。

ネトウヨが靖国神社を語る際に、この長州閥の問題を顧慮している様子がない。靖国は明治新政府のイデオロギーでしかなく、昭和天皇が参拝を取りやめたのも、戦前の思想の復活にうんざりしたからだろう。明治になって用済みとなった不平士族は西郷隆盛を担いで西南戦争を行ったが、西郷隆盛も靖国神社には祀られていない。

ちなみに今上天皇は平成21年にこのような発言をしている。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gokekkon50.html
時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが,私は即位以来,昭和天皇を始め,過去の天皇の歩んできた道に度々に思いを致し,また,日本国憲法にある「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ,国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず,その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。

明治憲法において天皇は軍を統帥する大元帥陛下であった。明治憲法と言えば伊藤博文であるが、言うまでもなく長州閥である。官軍に正統性を持たせるために、天皇を巻き込んだのである。日本の歴史全体に思いを馳せている天皇からすれば、長州閥が作った明治憲法とか靖国神社とか、長州への利益誘導でしかないと知っているのである。西郷隆盛も白虎隊も新撰組もすべて賊軍扱いで、靖国神社から愚弄され踏みつけられている。安倍晋三の愛国心も、長州閥らしい私利私欲が見抜かれているに違いない。昭和天皇と今上天皇が明治憲法を蛇蝎のごとく嫌っているのは明らかなのに、それを無視して安倍晋三に熱狂するネトウヨは、山口県出身者か、そうでなければ盲しいた痴れ者でしかないのである。







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