今回のサッカー日本代表は惨敗したわけだが、やたらと自己啓発本を出したし、自己啓発的な言動が目立つ。これは何なのだろうと考えると根性論の反対なのである。昔日の野球部のように炎天下で水を飲まないのが根性の典型であるが、死ぬまで練習という古臭い価値観をサッカーは否定したのである。サッカー部のサークル活動的な雰囲気は若者にフィットした。野球部のように死ぬまで練習しろということはないし、水分補給した方が効率がよいという科学的な発想をするわけである。

自己啓発はモチベーション主義である。ひたすらモチベーションを上げるのが自己啓発だ。だが、意識の高いサッカー選手が死ぬまで練習したかというと疑わしく、自己啓発に溺れて(選手の実力として)死んだという印象が強い。自己啓発本の読者は意識や意欲にこだわるわけだが、逆に言うと、「意欲がなければやらない人間」だと言える。根性論は死ぬまで練習させるから、意欲の問題などない。自己啓発人間は、自発的な意欲の範囲内で努力するので、肉体の限界まで練習することはない。

タレントなら自己啓発でいいのだろう。実際、広告代理店的には「成功」したのである。意欲や意識の高さで、ユニフォームがたくさん売れたし、放映権料400億円が動いたなら、電通の手数料も相当なものだろう。もちろんペラペラの肉体の日本代表選手を目の当たりにした日本国民は開いた口が塞がらないという状態なのだが、電通としては、また別のブームを作ればいいのである。手数料で商売してるから、売れ残ったグッズなど知ったことではない。

サッカーは無人のゴールにシュートするスポーツではない。バスケでディフェンスをかわしながらシュートしたり、リバウンドを争うのと同じく、サッカーでも、ボールを奪い合う肉体的な強さが求められる。肉弾戦に勝ってこそ、シュートが出来るのである。しかし、日本のサッカー選手の体躯を見るに、無人のゴールにシュートする練習しかしてなさそうである。それが日本では上手いと言われてしまう。身体をぶつけ合いボールを奪い合う練習をしていたら、あのか細い体型にはならないだろう。

自らの成功イメージに淫するのが自己啓発である。本田や香川はワールドカップ本戦で「実力」を最大限発揮できるという夢想に溺れた。本田はバセドウ病による筋力低下が明らかなのにゴリ押しでスタメンを勝ち取り、香川は徴兵検査なら失格になる貧相な肉体でワールドカップのピッチに立った。コートジボワール、ギリシア、コロンビアの逞しい肉体と見比べて、われわれ日本人は70年ぶりにマッカーサーと昭和天皇が並んだモノクロームの写真を思い返したのである。帝京高校の野球部に入ったら本田はモヤシ君というあだ名が付くだろうが、その本田に威圧されてしまうのが日本のサッカー選手なのである。根性主義から遠いサッカー選手の生き方は、ふわふわな一般人から支持され好ましく消費されたのだが、その結果、本当に一般人みたいな体格でピッチに立ってしまったのだ。試合の勝敗という以前に、アスリートの体型になってないのが絶望的なのである。心を整えるより、まずは身体を鍛えた方がいいだろう。







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