国会での議論は説明を求めているように見えるが、あれは茶番であろう。
儀式としての議論である。
本当に根拠を尋ねる質問をしてはいけないのである。
一般市民が公務員に「なんで?」と冷静に尋ねたことは一度もないのである。
怒髪天を突き、公務員に食ってかかった一般市民ならいるが、なんら怒りもなく平然と「なんで?」と説明を求めた人は、人類の歴史で一人もいない。

この世界はロールプレイで出来ている。
説明を求めるというのは、最大のタブーである。
権力者に対して、ごく普通に平然と「なんで?」と疑問を発することは有史以来一度も行われていない。
権力に根拠なんぞあるわけないので、訊かれたら困るのである。
学級崩壊で、最初からこどもが教師を完全に舐めているような事例はあるが、権力が成立した後に「なんで?」と問うのはロールプレイの台本を破棄するような行為である。

われわれは権力者に同情しているのである。
平然として「なんで?」と訊くと、権力の根無し草である実態がわかってしまう。
人類という根無し草の生き物の面子を丸潰れにしてしまう。
弱者の面子を潰すのはいいが、強者の面子を丸潰れにするとなると、まるで尊属殺人のようであり気の毒でたまらないのである。
人間の社会に根拠などないというタブーに触れてしまう。
説明を求めてはいけないという強い意識は人類普遍なのである。
われわれは権力者に同情する優しさを持っているから、「なんで?」という致命的な問いはせずに、怒りの拳を握りしめて押し黙るのである。

怒りもなく屈託なく平然と説明を求めるのは、正統性の無視なのである。
相手を権力者と認めた上で怒る(たいていは怒りで震えて我慢する)のが人類の大原則である。
弱者の怒りを持った段階で相手を権力と認めているのだ。
抑圧された被害者として怒りを溜め込み、革命を願うのである。
正統性を無視する(そもそも相手を権力者と認めてない)という根源的な革命は一度も行われたことがない。
パワハラをされている人間が「なんで俺にパワハラするのか説明してください」と平然と質問したことは人類の歴史の中で一度もないのである。
板前の修業を始めた若者が、先輩から徹底的になじられて怒り狂って刺し殺したことならあるだろう。
だが面と向かって「なんでそんなに偉いのか説明してください」と何の怒りも恨みもなく質問した人間はひとりもいない。
怒りの抗議をする人間は権力の正統性を認めているのである。
恨むことで因縁が生まれ、人間という演劇がなされるのである。







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