ネットで活動する=全世界に発信しているというのは、完全な妄想である。
われわれの世界は決してそのようには創られていない。

われわれの五感は肉体が存在する座標における感覚である。
肉体の位置から見える世界。鼻に伝わる匂い。耳に響く音。舌に触れたものの味わい。
手に触れたモノの感覚。
それだけなのである。
森羅万象からは遙かに遠い位置にわれわれは存在しており、ほとんど盲人だと言っていいのである。

われわれの肉体は遠大なる世界の一カ所に固定されている。
つまり遍在性を持たない。
ではどうやって世界を理解するのかというと、伝聞頼みである。
インドに行ったことがなくてもインドのことを(伝聞だけで)理解したつもりになっているのが、われわれ人間存在なのである。

世界という言葉の定義の問題なのだが、世界全体=森羅万象という意味なら、われわれはそのほとんどを直接には知り得ないのである。
あくまで断片的な情報から世界を想像するしかないのだ。

人間の頭脳は、情報の入力装置としてかなり制限がある。
本を読みながらラジオを聴くくらいのことは出来なくもないが、ほとんどシングルタスクしか出来ない。
一人が一生に読める本の数が限られているというのが、人間存在の重要なポイントであろう。
一度に五百冊の本が読めるなら、人間存在はまったく別のものになっている。
つまり、図書館にある全部の本を読むとか、ネットにある全てのサイトを閲覧するようなことは、ひとりの人間には出来ないのである。

どんなに社交的なひとでも世界人類すべてに会うということは出来ない。
かなり顔が広い人でも知人と呼べる相手は一万人くらいが限度だろう。
世界人類のほとんどすべてと面識がないというのが、世界の本質である。

ツイートするにせよ、ブログにエントリーするにせよ、それは一部の人にしか伝わっていない。
炎上してネットの隅から隅まで伝わるということも無くはないが、それは情報のごく一部であり、大半のことは伝わらないままに終わる。
伝わったとしても伝聞でしかない。
この不完全さこそが人間というものなのである。
限られた本しか読めず、限られたサイトしか見れず、なおかつそれらが伝聞であるという制限があるからこそ、人間存在があるのである。
千里眼で森羅万象を見渡し、すべてを把握しているなら、それは人間とは言えない。

自分が直接目撃したというのでも無い限り、すべての情報は伝聞であるから、あらゆることにリテラシーが必要なのである。
安易な道徳論や倫理学で納得して終わりにするべきではないのだ。
匿名は信用出来ないという道徳論があるが、実名を名乗って経歴詐称をする人は普通にいるので、実名だから安心というわけでもない。
実名を名乗っている人がどれだけ化粧をしているか考えた方がよい。
またリテラシーの問題では、誹謗中傷よりポジキャンの方が重大である。
ポジキャンの方がどう考えても大きなビジネスだからである。
電通の関連会社であるオプトがホットリンク株を大量売却したのも、誹謗中傷や炎上対策はビジネスにならないと判断したからであろう。







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