そもそも文章というのは、同じことの繰り返しなのである。
主題を何度も繰り返し、変奏し、いろいろな事例を列挙して補強しながら書いていくものである。
ツイートするというのは、この主題の部分を三行で書いてしまうことである。
記事の見出しと、それに捕捉を加えて140文字あれば、ブログのエントリーの内容を表現するに充分である。
自分だけの非公開のメモなら、後からそれに肉付けして長文にするのだが、公開したとなると、もはや長々と書く必要がなくなる。
三行くらいの要約を公開ツイートし、それで大半が語り尽くされてしまうのだから、長文エントリーを書くなど、いかにも蛇足である気がするわけだ。
それに自覚的な人は少ないようである。
頭に思い浮かんだことを即座にツイートしたら、その後にブログのエントリーを書くのが無意味に思えてくるのは当然なのに無自覚にツイートしてしまう。
そしてツイッターでエネルギーを使い果たしたと言ってしまうのである。
エネルギーを使い果たすというのはまったく正しくない。
公開してしまうのが問題の根幹である。
書こうと思ったエントリーの内容を三行で要約するとして、それを自分だけのメモに留めておけば、なんら問題はあるまい。
公開ツイートするのは、持ちネタを消費したということなのである。
エネルギーを使ったというよりは、話のオチの部分だけ公開してしまったようなものである。
ツイッターのフォロワーとブログの読者は完全に同一ではないにせよ、ある程度はかぶっているであろうから、オチを先にツイートでバラして、その後でぬけぬけと長文を書くなんて、過去に書いたエントリーの焼き直しのようなものだから、そのようなネタを使い回す行為に気力が湧き上がるはずがない。
エネルギーを使ったのではなく、オチを公開ツイートしていることが問題の根幹なのだが、それを自覚してない人が多すぎる。
こうやって長々と書いてきた文章でも、数行で要約は出来るわけである。
「公開ツイートはオチをばらすことだから、それを元に長文を書くのは同じネタをもう一度やる寒い行為だ。
エネルギーを使ったのではなく、ネタを使い果たしたのである」というツイートで足りてしまう。
では三行で書けることを長文で書く意義があるのか、という話になるであろうが、そんな意義はないのかもしれない。
たとえばダーウィンの「種の起源」なら、同じ主張を繰り返しながら、具体例を列挙し、詳細を詰めて説得力を高めているのであり、それは意味のある長文であろうが、このエントリーのように意見だけ書いている場合は、三行で足りるというのもあるだろう。







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