深夜になって日付が8月10日に変わっても御前会議の結論は出ず、不意に鈴木貫太郎首相が昭和天皇に聖断をあおいだ。これは鈴木貫太郎と昭和天皇がとても親密な関係であったから可能だった。昭和天皇がポツダム宣言受諾としたため方針は固まったが、軍部はそれを簡単に受け入れる空気ではなかった。8月13日に荒尾大佐、稲葉中佐、井田中佐、竹下中佐、椎崎中佐、畑中少佐の六名が阿南陸相に直談判し、クーデターを起こし、昭和天皇に降伏を思いとどまらせる計画を提案したのである。阿南陸相はあくまでこれに反対し、同調しない姿勢を示した。8月15日に、畑中少佐が近衛師団を動かすために森師団長を射殺したのは、いかにも愚挙であるが、おそらくは誰かがやらなければならない愚行だったのである。2.26の真似事を陸軍の誰かがやってみせて、それが破綻することが終戦のために必要だったのである。畑中少佐は師団長を殺害した後に、その判子を使ってニセ命令を発してクーデターを開始したが、それが短時間で見破られ崩壊するのは必然だった。畑中少佐は失敗するためにやったわけではないし、本気で目を血走らせながら降伏を撤回させようとしていたのだが、この断末魔のあがきは、誰かが実演してみせる必要があったのである。阿南陸相はこのクーデターに反対していたが、自らが止めに行くことはなく、実際に鎮圧したのは田中軍司令官である。8月15日の早朝、阿南陸相が「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と遺書にしたため割腹自殺した際に、クーデターの首謀者のひとりである井田中佐が居合わせており、おそらく阿南陸相はクーデターに反対しつつも、どこかで理解を示していたと思われる。また阿南陸相が腹を切ってから一時間くらい後に、義弟の竹下中佐が、すでに意識のない阿南を念のため介錯しているが、この竹下中佐もクーデターに関与している。騒動が鎮圧され、前日に録音された玉音放送も無事であったから、午前7時21分に「畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午おんみずから御放送あそばされます」とラジオで予告されたのである。その正午を待たずして、追い詰められた畑中少佐は自決したのである。阿南陸相は辞職して倒閣したり、終戦詔書への副署を拒否するなど、いろいろな妨害策が可能でありながらも実行しなかったから、決してクーデターに賛同するはずはないのだが、あえて鎮圧に乗り出してないのも確かであり、見込みのない戦況を考え、降伏に賛同しつつも、心の奥底に残る無念さを、軍人全ての前で演じることを無意識に意図していたように思える。二発の原子爆弾が落とされ、ヤルタ会談の合意通りにソビエトが参戦してきたのに、まだ抵抗するのは狂気に他ならないのだが、それを誰かが演じる必要があったのである。先頭に立って狂奔したのは畑中少佐であるが、阿南と近しい井田中佐や竹下中佐も関与しており、それぞれは台本のない演技をしていたのである。人間はトリックスターの役割を課せられ動くことがあるのである。それは決して事前に筋書きが決まっているわけではないが、置かれた状況から自然と発生してくる物語なのである。玉音放送の前に、降伏に反対し、断末魔のような抵抗してみせることは、誰かがやる必要があったのだ。畑中少佐が森師団長を射殺したのは、決して一個人の狂気ではない。降伏に納得できないであろう軍人達の無念を背負って怪物となったのだ。軍部は、これを鎮圧することで、多数の軍人の中にわだかまる怪物も退治することが出来たのである。まさにトリックスターとしての行動だったのである。見せるための行動というのがあるのである。畑中少佐は自らの決起した様子を見せるために決起したのであり、阿南も何となく腹を切ったのではなく、自刃する自分の姿を、残された軍人たちに見せたのである。この件に関わりのない軍人の多くも、座して無念に耐えているところに、クーデター失敗や阿南陸相の割腹自殺の報を聞いて、その物語を消化することで、終戦を受け入れたのである。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング